なぜ消えた中野総合病院前の賀川胸像

 中野総合病院の前の賀川豊彦胸像がなくなっていると聞いたのは2週間ほど前のこと。一瞬、耳を疑った。胸像は病院創立35年を記念して昭和42年に建立されたもので、その後の手入れもなかったのか、2009年に訪ねた時にはすでに眼鏡がなくなっていた。

 中野総合病院は日本初の医療組合による病院として発足した。健康保険もない時代に労働者たちの医療事情は現在とは比べることのできないほど厳しいものがあった。病気になっても医者にかかる金がない。その病気を放っておけば病状はますます悪化する。病状が悪化すれば、収入の道が閉ざされる。その悪循環が巷に横行していた。

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 http://www.yorozubp.com/2011/2011/12/post-1364.html