傾ける大地-1

 賀川豊彦の小説『傾ける大地』を連載します。単行本をスキャンしてOCRをかけて編集しています。まだ誤字脱字が少なくないと思います。読者のご指摘をお願いしたいと思います。
 完成後はデジタル版「賀川選集」として刊行したいと考えています。編集にご協力いただける方がいましたら、ぜひご参加くださいますようお願い申し上げます。賀川豊彦選集刊行委員会(事務局長:伴 武澄)
ご協力いただける方はugg20017@nifty.comまでメールをください。

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『まあ好かった、これでやっと安心しました』

 医者を送り出して、また兄の処まで来た俊子は、ジールの検温器を皮サックに納めながら独言のやうに云うた。

『ほんとに好うございましたわね、一時は何うなるととかと、私も気が気でありませんでしたわ』

 病人の周囲に群って来る煩い蝿を軽く追ひ散らし乍ら、病人の傍に行儀よく坐って居る愛子は歯切れのい重ゝ言葉でさう答へた。

 俊子はのいて、病人の広い額に載ってゐる氷嚢にちょっと触り、
『兄さん、まだ氷はございますか、換へなくってもいゝでせうか、胸の氷嚢でも換へて来ませうか?』

 身動きもしない若い病人は、塞いでゐた二つ瞼をぱっちり開けて、気惰さうな乾いた唇を僅か詐り開いて云うた。

『いつまで胸の氷嚢を置いておけって、三上さんは云はれたか』
『もう二三日ですって、熱も引いたし、脈拍も確かなら、もう四五日すれば床の上で坐ってもいゝだらうって、三上先生は仰しゃいましたよ、もうあなたも二三日の御辛抱ですから、もう少しの間安静にしていらっしゃいね』

『ぢゃア、痛い注射も少し回数を少くすることが出来るね』
 さう云った病人は、右腕を目のところまで持って来て、静かに静脈注射の斑点の跡を数へて居る。俊子は静かに胸の氷嚢を抜き取って台所の方に立去った。
『まあ大変でしたね・・・お苦しかったでせう?』

 さう云って、愛子は静かに団扇を傍に置き、英世の痩せた腕を支へ、
『注射の跡を数へていらっしゃるのですか? 私が数へてみせませうか、廿本位までは数へられますよ』
『この注射で助かったんだね』
 独言のやうに病人はさう云った。愛子は軽く病人の右の腕を夏布団の中に収め、
『風邪引くと悪いから斯うしておきませう』
 さう優しく云って、また団扇を取上げた。
『愛子さん、今度はお世話になりましたね』

 英世はぢっと瞳を据ゑて愛子の顔を見てゐる。愛子は恥しさうにその瞳を下げる。綺麗に耳隠しに結って、薄い化粧を凝らした愛子は、美しく見えた。幼少の時から何不自由なく暮して来たものだから、顔にはかすり傷一つ無く、皮脂は恰(まる)で、生れた儘の赤ん坊の様に柔かく、それに父が、年とって生んだ娘であった為に特別に可愛がられて、女子大学まで勉強したゞけに、叡智はその頬に輝き、その引締った顔に犯し難いある威厳さへ加はってゐた。大阪辺りの旧い家柄によく見る、黒眼勝ちなぱっちりした二重瞼の持主で、眉はアイヌ人の様に太く濃くひかれてあった。

 英世は愛子が好きであった。英世が去年、東京の外国語学校を卒業して、今年の春、外交官試験に優等の成績を以て及第するや否や、彼女を妻に迎へないかと斡旋して呉れたのは、医師の三上実彦であった。

 英世の家は、余り金持ちと云ふ方ではなかったが、英世がフランスの公使館附になるのだと聞かせられて、愛子の父である高砂町随一の金持ち、土肥謙次郎も容易にその縁談に賛成したのであった。

 然し未だ結婚式を挙げるだけ話は進んでゐなかった。実はその日を定める為に、英世は東京から郷里迄帰ったのであったが、余り勉強した為でもあったか、最初は汽車の中で風邪を引いた位に思ってゐたのが、だんだん重くなって終に数回の喀血となり、彼は安静を保つために、二週間以上も、暗い高砂町の旧式な家の表座敷で、絶対安静にしてゐなければならないことになった。

 それは愛子にとっても驚きであった。愛子は結婚の準備は勿論のこと、フランス行きの準備までして、まだ結婚しない前から、花の巴里に活躍する若き外交官夫人のあでやかな生活を朝な夕なに夢みてゐたのである。それが病気の為にぱったり凡てのことが水泡になりさうになったので、彼女の心配も並大抵ではなかった。彼女は父の許しを乞うて、英世の妹であり、また彼女の高等女学校の同級生であった俊子と二人で、殆どこの二週間は徹夜して英世の看護に勤めたのであった。

 その効あってか、英世の病状は日増しに軽快に赴いて、最初は毎日四十度からあった熱が、三十九度になり三十八度に減退して、今日辺りは三十七度二分といふ低い体温を示すに至った。その犠牲的な看護に対して英世は、心から感謝の意を表した。そして二人の関係は今では薄っぺらな仲介者の引合せに依るのではなく、深い理解と尊敬から来る神聖な恋愛に潜んでゐると云ふことを考へざるを得なかった。勿論、二人は既に許された仲ではあるし、心置きなく交際は出来たけれども、こんなに近しく、二週間も続けて、四六時中ぶっ通し顔を見合す機会が与へられるとは、二人とも予期しないことであった。

 或ひは絶望であるかも知れないと、神戸からわざわざ往診して呉れた東博士が、俊子と愛子の二人に囁いて帰った晩の如き、愛子は英世の片腕に鎚って一晩泣き明した位であった。

 然し、それ等の杞憂もみな過去の事となって、軒の深いそして天井の低い煤ほゝけた、高砂町の暗い病室にも光明が射して来た。そして愛子も久し振りに薄化粧して、英世の傍に坐ることが出来た。