傾ける大地-2

 賀川豊彦の小説『傾ける大地』を連載します。単行本をスキャンしてOCRをかけて編集しています。まだ誤字脱字が少なくないと思います。読者のご指摘をお願いしたいと思います。
 完成後はデジタル版「賀川選集」として刊行したいと考えています。編集にご協力いただける方がいましたら、ぜひご参加くださいますようお願い申し上げます。賀川豊彦選集刊行委員会(事務局長:伴 武澄)
ご協力いただける方はugg20017@nifty.comまでメールをください。

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   二

 胸と額との氷嚢が取り去られてから二日目であった。面会謝絶の貼札も玄関先から剥ぎ取られ、英世はやっと三週間目に、彼の第一の訪問客に横になった儘経く挨拶をした。客は彼の中学校友達で、現在は大阪新聞の通信員として、高砂町に派遣せられて来てゐる生方正之進といふ男であった。細面の色の蒼白い才子肌の人物で、よく独り喋べる、如何にも新聞記者らしい風采をして、季節に先んじて町でも最も早く夏帽子を冠り、夏袴に絽の羽織の装立ちて、香水をぷんぷんさせてゐた。彼は真白なハンカチを取出して、汗も余り出てゐないのに、五分間の中に六七回も、額から鼻にかけてハンカチを持って行った。彼は英世の傍に看護してゐる二人の美しく若い女性が余程気になってゐたやうであった。彼は早口に斯う云うた。

『杉本さん、国家多事なる時にあなたの様な人に早く起きて貰はんと困りますよ、新聞記者としての立場から云っても、報告する材料が無くって弱りますね・・・』

『少し新聞記事を作ればいゝぢゃありませんか』

 英世が寝てゐるまゝ皮肉を云ふと、生方は折畳まれた扇を前後に転倒しつゝ、笑ひながら答へた。

『然しこんな狭い町ぢゃア、一人で芝居も打てませんしな、外部から強い刺戟もないし、町には産業らしい産業は起らないし、港は潮流の関係で浅くなる許りだし、私もこんな処でこの上三年も辛抱せよと云はれたら、人間の乾干しが出来るやうに思ひますよ・・・私は全くあなたの地位などを羨ましいと思ひますね、一生に一遍位は巴里も見たいものですね、エツフィルト塔とか云ふ古い塔が有るんですって。あんな高い塔に一生に一遍でいゝから登ってみたいもんですなア・・・ほんとに大都会の新聞記者も面白いけれども、人口一万足らずのこんな小ぽけな町の通信員として、一生を暮さねばならんのぢゃア、全くやり切れませんな』

 英世はまだ生方の様に軽く話を運んで行くことは出来なかった。それで応待することが何だか面倒臭くて、話はと切れと切れになった。それを辛うじて妹の俊子が、話を繋いで行って呉れる。

『然し生方さん、今度は何でも遊廓が高砂にも出来ると云ふぢゃアないの、斎藤さんの連中は躍気になってゐると云ってゐるぢゃありませんか』

『さあ、そんな事になりますかなア、あの連中のことだから何を云ひ出すか判らないけれども、彼はものにならんと思ふなア』

『然し父の話では斎藤さんは知事もそれを賛成してゐるやうなことを話してゐましたが、あれはほんとですか?』

『なあに、一人で決めてるんでせう、あの連中は臭いんですからね、あの連中は此の頃ではまた競馬場を設けようと云って騒いでゐますぜ、あの一派は高砂町を宝塚のやうにして、海岸に一大歓楽場を作り、毎日数万人の客をひかなければ、高砂町の繁栄は予期することが出来ないと考へてゐるんです』

 永く故郷を離れてゐた為に、郷里の経済状態などに就いて少しも知らない英世は、世間のことに明るい新聞記者から種々の事を聞かされて、多少郷里の前途が不安に思へて来るやうになった。それで彼は生方の方に向き直って尋ねた。

遊郭や競馬場の外に、産業を以て高砂町の繁栄を計ると云ふことは、まだ余り考へられてゐないんですか?』

 さう云ってゐる間も愛子は軽く病人の顔に群って来る煩い蝿を追払ふ為に、手を緩めないで団扇を動かせた。そして俊子は台所から運んで来た手製のアイスクリームを客と病人の前に奨めた。

『考へられないこともないんですがね、何云ってもこの不景気でせう。既にある鐘紡や高砂川製紙が事業を収縮してゐる位ですから、人造肥料会社の話も、造船所を持って来たらと云ふ企もみんな噂許りになっちまひました、然し何でも最近は某方面から、人造絹糸の会社とモスリン会社を建てようと云ふ噂が無いでもないですがね、之もまた噂許りに止まるのぢゃないかと思ひます。何しろ高砂町に資本家があって、その資本家が町民の為を思うて建てようといふのとは違ひ、みんな外資輸入の方法詐りたてゝゐるのですから、盲の手引を盲がするやうなもので、全然見当が付かないんです。町会の多数派に云はすと、これは全く町長が余り潔白すぎて、清濁ともに呑むことの出来ない偏した人物である為に、皆事業を他の処に持って行かれて仕舞ふのだと主張してゐるのです』

 生方は、俊子に進められたアイスクリームを、小さいアルミの匙で一口一口味ひながら、町制に就いてぽつりぽつりと聞いただけの内輪話を物語った。食慾の進まない英世は、アイスクリームもそこそこにして、郷里の地方政治の実際を聞き洩すまいと、生方の顔の側面を凝視しつゝ次から次へと質問を連発した。

『町長ってどんな人ですか?』
『来られてまだ間も無い方ですが、町に紹介せられたのは、あなたのかゝってゐられる医者の三上さんで、古い早稲田出の法学士だと聞いてゐますよ、何でも余程修養を積まれた人で、熱心なクリスチャンなんださうです、酒は一摘も飲まない方で、初めて来られた時から、芸者の出る席には一切出ないといふ約束で、町長に就任して来られたのでした。多数派はそれを初めから承知してゐたんですが、遊廓問題が持ち上ってからは、あんな偏寄った人物は、高砂町には向かない、あんな事を云ふてゐては、高砂町に投資して呉れる産業家は皆逃げて行ってしまふと云ひ出したんです、その為に町長も今では随分苦しい立場に立ってゐて、今年の四月の予算会議で、今迄二千四百円を支給せられてゐた年俸をたった八百円に大削減を加へられちゃったんです、勿論、それは町長に面と向って止めよと、よう云はないものですから、そんな意地悪をして町長を追出して多数派が自由になる町長を後釜に持って来ようと思ってゐるものだからそんな事なしたんです、然し、加納って云ふ今の町長ですね、この人はなかなか我慢の強い人ですから、月給を三分の一に減らされた位でへこまないで、多数派の云ふやうな事をして居れば高砂町は滅びると云ふ意見で、禁酒会の人を引張って来たり、婦人矯風会の人に講演させたり、盛に精神的方向を鼓吹せられるのですけれども、町民も根っからぐっと共鳴しないで、今の処では多数派に賛成してゐる形ですね、さうぢゃないでせうかね、俊子さん』

 客のたべのこしたアイスクリームのカップに群がる蠅を、団扇で軽く追ひ散らしてゐる俊子に、生方はさう尋ねた。

『さうのやうですね、然し加納さんもあんな確かりした方ですから、あの方がお止めにならない間は、斎藤さんの一派も遊郭を新に拵へるやうなことは余程難しいと見えますね』

『然し大勢はもう決ってゐるやうですな・・・町長は高砂町を去らなくちゃならんでせう』

 生方は一時間位も話してゐたらう、本社から電話が掛ったと小僧が云って来たものだから慌しく帰って行ってしまった。生方が帰ってから間もなく、英世の幼友達で今は自転車屋の主人公として収まってゐる、青山秀太郎が彼を見舞って呉れた。青山は町の青年団の副会長をしてゐて、実際政治には直接関係してゐないが、青年の間には相当有力な人物として見られてゐた。筋骨逞しい立派な体格の持主で、理知の人と云ふよりか寧ろ意志の男だと云った風の印象を最初から与へる。顔は心持ち日に焼け、栄養が良いと見えて、皮膚は脂で漲ってゐた。一通りの挨拶が済んだ後、英世は、高砂町の青年の思想的傾向や、町制に関する彼の意見を尋ねてみた。彼の意見は元来斯うだった。

『多数派の云ふことを聞いて居れば、高砂町の発展にとっては、いいかも知れないけれども、結局、それに依って、堕落する青年は随分多くなり、その墜落の結果、高砂町の青年で故郷に居れなくなる者が沢山出来るだらうと、我々の仲間では云って居るのです、実際、別府がさうなんですからね、別府では矢張り地方の発展策だと云って遊廓を設けたんですが、発展策どころか、地方青年の堕落する機関となって、その為に身代を失ってしまった地方の豪家はどれ位あるか知れないんです。それで今では別府の有識者は全く悔いてゐるやうです、我々としちゃア、別に町会議員でも何でもないから、さうした事をあれこれ云ふ資格はないかも知れませんが、僕はどうも今の町長は偉いと思ふんです、公民会一派のやり口は全く無茶ですよ、然し私の様な意見を持ってゐる者は青年団の中でも少数で、矢張り多数は遊廓が出来て、土地の値段が上って、高砂へ金が沢山落ちるやうになった方が、今のやうに沈滞してゐるよりかいゝと思ってゐるでせうね、結局は多く儲かるやうに見えて、皆あぶく銭となって、前よりか悪くなるのですがなあ、そんな先の先まで目が届かないんです』

 青山は永く居なかった。然しその晩、彼は大勢の友人を連れてまた杉本を見舞ひにやって来た。彼の友人と云ふのは、皆申し合せによって、裾か脛までしかない黒色の厚司に黒色の帯を〆めた、実に床しい人々の群であった。青山は仰臥してゐる杉本に、その一人一人を紹介した。

『是は青物商の榎本定助君です』

 さう紹介すると、賢さうな顔をした、広い額に高い鼻を持った廿四五歳の青年が、極叮嚀なお辞儀を英世に向ってした。

『その次に坐ってゐるのが堤幸蔵君です、確かあなたとは、小学校で一年違ひだと思ってゐます、今写真屋をやってゐます』

 さう紹介せられて無雑作にお辞儀した男は、人の好ささうな、鼻の低い四角張った、よく肥った青年であった。

『その次に坐ってゐるのが倉地一三君と云って、雑穀問屋の倉地さんの後嗣です、別府から養子に来られたのですが、神戸商業の卒業生です』

 さう紹介せられた時に、畳迄頭を下げてお辞儀をしだ青年は、面長で鼻筋の通った細眼の青年であった。三人の友人を紹介し了った時、青山は英世に最も近く坐ってこんなに云うた。

『我々は少数ですけれど黒衣会と云ふのを組織してゐましてなア、先づ実業青年の意気から改造して行かなくっちゃアならんと思って、五ケ条の約束をしてゐるんです、それは、朝起きすることと、借金しないことと、嘘をつかないこと、煙草を飲まぬこと、女郎買ひをせぬといふこと、世間から見るとをかしいやうな約束なのですけれども、真面目にそれを行ってゐるのです、そして御互ひの間に頼母子講(たのもしこう)を作って資金の融通を計り、共存共栄の目的で、うんと気張らうと云ってあるのです』

 その晩は久方仮りに、愛子も自宅に帰り、俊子も宵のうちから、離れに這入って寝てしまったから、病室は唯五人の青年許りになり、話に随分花を咲かした。

 青山は昼の話の続きから、愛子の父の攻撃を初めた。

『斯ういふとあなたには悪いけれども、私ら高砂町の正義派は、あの愛子さんのお父さんが、遊郭問題などに就いては尤も責任があらうと思はれるのです、土肥さんは殆ど高砂町の周囲の土地の八九分通りまで一手に持って居られるものですから、遊郭を作るにしても、競馬場を作るにしても、あの人の土地に持って行かなければ持って行く処はないんです、然ればと云って、この狭い高砂町の何処かに持って来て、何処かの古い家を立退かして遊郭を新しく建てる事も出来ないでせうから、話はいつでもくるくる舞して、結局は土肥さんの意向通りに土地を選定せねばならぬと云ふことになるのです、処が愛子さんのお父さんと云ふのが随分な解らず屋で――斯う申しますと既に御婚約も出来てゐる今日、あなたには失礼かも知れませんけれども、実際を云はせて下さい、之も高砂町の運命にかかってゐることですから――あの人は殆どこれ迄あの解らず屋の斎藤新吉と云ふ、公民一派の一派を代表してゐる実に汚い男にまあ騙されてゐるのですなア――さう云った言葉を用ふる事は妥当でせう、土肥さんは別に悪い気の人でないんですけれども、自分の土地を少しでも値打の出るものにしようと云ふことゝ、少しでも財産を殖さうといふ考の外は他に少しも思慮のない人で、それを巧いこと利用してるのが斎藤一派なのです、我々は断然あゝ云った腐った町会議負に反抗して、町の青年を道徳的危機から救はなくっちゃならないと思ふんですけれど、何云っても向ふの方には大きな地主が付いてゐるし、運動費は無制限に使へるのですから、幾ら我々青年が気張っても駄目なんです、なア君!』

 青山は次に坐ってゐる榎本を顧みて彼の同意を求めた。

『今日迄多数派の行って来たことは、実に目に余るやうなこと詐りで、町としては本当に迷惑を感じてゐるんです、今町会議員は僅か十八名しかないんですが、その中の三名を除いて十五名が公民会なるものを組織してゐるのです、名は公民会ですけれども、恰(まる)で町民の掠奪機関の様なもので、或ひは彼等の仲間だけで自動車会社を経営して、この狭い高砂町に大型の自動車を乗り入れ、市も道路費の負担を、その会社に対しては免除してゐるのみならず、逆に年額千五百円からの補助費をその会社に出してゐるとか、或ひは海岸の埋立地を自分等が勝手に決議しておいて、それを独占的に自分等の仲間の組織してゐる会社に廿五ヶ年間無償で貸し渡しするとか、小学校の建築をする場合でも、町内の大工が組合を作って献身的にやるから働かせて呉れと申込んでゐるものをわざと姫路の請負師に落札させて、その巧い汁を吸ふとか、今日迄、彼等の為きたった罪悪を数へ挙げると迚(とて)も話にならないんです、然し多数で纏ってゐますから、橋を架けると云へば橋が架るし、避病院を作らうと云へば避病院が出来るし、仕事はぐんぐん捗るものものですから、一部の間では非常に評判が好いんです、殊に料理屋や、曖昧屋の方は彼等の為めに繁昌するものですから、いつも大いに力を入れて選挙運動と来たら、それこそ必死になって彼等の為に奔走するのです、そこで正義派の人と云へば町会では僅か、あなたのかゝって居られる三上実彦さんと、文房具をやってゐる大友良知君と、紙屋の川上市太郎君の三人だけなんです』

 青山は斯うした町会の有様を具(つぶ)さに杉本に報告して、正義派が今や危機に立ってゐることを雄辯に物語った。質素な杉本家では俊子が寝てしまふと、店の小僧が二三度渋茶のお代りを客に出したきりで、別に応待もしなかったが、黒衣会の面々は別にさうした事にも気をとめないで、青年の意志のある処を、縷々(るる)数千言述べ立て、杉本の賢明なる判断に訴へるところがあった。

 下水の悪い高砂では、蚊取線香を立でなければ、ちっともぢっと坐って居られなかった。青年達は脛から下は皮膚がまる出しである為に、間断なく脛の皮膚をたゝいては蚊を防いだ。八燭光は薄暗く、廿四燭光のマークが附いてゐるのに、八燭光の力も出てゐない。それを見上げて、堤は太い声で杉本に云った。

『この電燈がその一例です、高砂町の南と北に二つの電力線が通ってゐるのです、一つは大電で、一つは日本電力なんです、大電の方では八燭光を四十二銭で附けると云ったものを、公民会の連中はわざわざ日電の方と契約して仕舞って、八燭光五十四践にもつく高いものを町民に付けさせて置いて、そして高砂町への寄附と称するものを、年額八千五百円詐り出させてゐるのですが、――それは勿論道路使用費と云ふ名目になってゐますが、お陰で市民は一年間に五万円以上も高い電燈料を払って、而も四分の一燭光位の電力しか貰ってゐないやうなことになってゐるのです。それを計算すると、高砂町民は年に電燈代金だけでも数十万円の損失でせうと思ふんです』

 彼等は代るがわる渋茶を啜り乍ら、地方青年の意気を杉本に見て貰はうと思って、滔々と述べたが、月の出る頃、青山は 病人の疲労を心配して一先づ引上げた。