傾ける大地-3

   三

 広い床の間には、川端玉翠の、葦にとまったおほよしきりの瀟洒な一幅の軸がかゝってゐる。その前には凝性(こりしょう)の愛子の母が活けたものであらう。姫百合の花が美しく水上げして、挿されてある。十二畳の広い表座敷が、南西があいて、柱などは拭き込んだとみえ、ぴかぴか光って居る。夏座敷向きに、畳の上には支那製の籐の敷物が部屋一杯に敷かれ、部屋の中央には、紫檀の大机が置かれてある。机の上には、大きな呉服屋から贈って来た、極く粋な模様の描かれた軽い団扇が二三枚、団扇挟みにはさまれて置かれてある。

 英世は、病後はじめて土肥家を訪問して、病中かれこれ世話になった御礼や、また見舞物を貰った謝辞を述べた。主人公の謙次郎は、途中で呼び出された。そして長々と公民派の首領斎藤新吉と次の間で話が続く。で、全く待ち呆けを食った彼は、只部屋のぐるりを見廻しながら、襖越しに聞えて来るこみ入った話を横ぎきする他なかった。その話の筋道をきいて英世は青山の連中が憤慨するのも無理はないと思った。

 斎藤といふ男は太い大きな声の持主で、西洋雑貨を商ってゐるとみえて、最初は彼がフランスに行くについて持って行くトランクや、西洋鞄(スーツケース)、其の他色々の旅行用器物、化粧道具等を東京からとり寄せる話で始ったが、それがだんだんわき道にそれて、遊廓存置問題となり、松島事件のやうなことが起っても居るから、最も内密に話を進めなければならぬが、土肥新田あたりかを先づその候補地と定めて置いて、別に土地会社をつくり、公民会の人々を、その株主名義人に定め一事業の成功した暁には優先権(プレミアム)を公民派の人々の間に配げてやるとして置けば、話は大体に於て纏るであらうと、極く内密な話をして行くのであった。

 また競馬場の話も出た。競馬場は、今の処埋立地に持って行き、之も株式会社にして公民派の連中が中心になってやる積りだと、内輪話をすっかり洩らした。斎藤の意見では、遊廓と競馬場を出来るだけくっつけて、競馬がひけてから、その観客がサアと遊廓に立入れる様に入口を作り、裏門からすぐ遊廓に這入って行ける様にして置けば、馬券で儲けた金がすっかり遊郭に落ちて、結局は高砂町にその金が残ることになり、遊郭に落ちた金は、高砂町民のうるほひとなるから、高砂はそれで繁盛するといふ意見であった。知事は今の処、両方に賛成してゐて、町会が決議さへすれば、すぐ指令がさがる位にまで運んでゐると、斎藤は如何にも棚から牡丹餅が溶ちて来るやうなことを、土肥謙次郎に云うてゐるのであった。狡猾な斎藤は、それで話をとゞめなかった。

 うまい利権の口を七つ、八つ、つづけざまに話をして、土肥謙次郎が儲かりさうなことばかりを次から次へ並べ立てゝ、老人を喜ばせた。それには加古川の砂利採掘権、高砂沖漁業権、印南郡官林払下に関する優先権、私営水道敷設権、独占事業としての瓦斯会社営業権、電気鉄道敷設権等、かしこく廻って、町民から巧いこと資本主義的に搾取出来る工夫を沢山土肥に教へた。そして斎藤は露骨に、公民派が多数党である間は、吾々の計画によって町民も便利になり、吾々もそれに拠って儲けることが出来るのだから、一挙両得でこれ程うまいことはないとせゝら笑をした。

 然し気になるのは、来年の町会議員の改選で、それまでに何とか凡ての問題を処理し置かないと、到底高砂町の繁栄は望まれないのみならず、凡ての計画が水泡に帰するから、競馬場問題だけでも早く目鼻をつけたいといふのであった。そして結論として、斎藤は競馬場のスタンドの設備費として三万円を出して呉れと申込んだ。土肥もずるい男で、他の利権がとれるなら三万円位は出せるが、利権がとれないのならば、その金は出せないと商売人らしいことを平気でいうた。

『まあよく考へて置いて下さい』と斎藤は、長い話を打ち切って立ち去らうとした。
 其処で話はまた旅行鞄とトランクのことに帰り、謙次郎は、
『杉本君が来てゐるからきいて来よう』
 と表座敷に、這入って来た。
『杉本さん、娘のトランクを、注文するのですが、あなたの出発は何時頃になるのかいな』
『見当は少しもついてゐないのですがね』
『然し行くことは確かなんだらうね』
『さお、今それがまあ問題になってゐるのですが、健康が健康ですからね、何とも云へないです。或は今年一年遊ばうかと思ってゐるのです』
『ぢゃあ注文を見合しとこか?』
 要領を得ない英世の言葉に、主人公はそのまゝ次の間に返って、矢張り要領を得ない返事を斎藤にした。
『今の処出発の期日が解らんさうですから注文を一先づ中止して置きませう・・・あなたは杉本君にお会ひになりましたか、今度フランスの公使舘につとめることになって、娘を迫れて行って呉れるんですがね、今日は丁度大病をしてから始めて家まで出て来られたんです』
 さういった土肥謙次郎の言葉つぎには、謙次郎がいゝ婿を娘の為に選定した得意が仄見えた。
『いゝえ、小さいときにお目にかゝった様な気がするのですけれど、永く東京に行ってゐらしったものですから、ついぞお顔を覚えてゐませんが・・・』
 主人公は杉本を呼んだ。
『杉本さん、御紹介したい人があるんですが、一寸此処まで御足労願ひませうか』

 杉本は立ち上った。そして愛子の父に要求せらるゝまゝに斎藤の前に坐って叮嚀に御辞儀をした。隣り座敷で想像した通りに、斎藤は極く丸く肥った浅黒い顔に、稍(やや)小さい眼を持った見るからに余りいゝ印象を与へられない男であった。それに引かへ英世は謙次郎が人に紹介したがるだけの堂々たる人品を備へた誠に外交官向きの瀟洒な風采をしてゐた。さうかと云って、別にわざとらしいにやけた所はなかった。フランス流に刈られた髪、その秀でた二つの頬、輝いた眼ざし、それは、土肥謙次郎が斎藤新吉に自慢して紹介する価値があった。

 斎藤が辞し去って後二人は再び表座敷の机を挟んで相対したが、土肥の老人は英世のきいたことを少しも苦にせぬかの如く、満面得意の色をみせて、寧ろ彼が地方の最も有力な人物であることを知って貰ひたい様な口調であった。英世はそれが余りに寂しかった。それで静かに老人を前に置いて彼自身の前途について考へ込んだ。

――娘との恋愛は已に成立してゐる。然しその一家族と彼との思想行動の間には余程の距離がめる。フランスの地に去って仕舞へば問題は起らないが、日本の地に居れば吃度問題が起って来るのであらう。そんな事を考へながら、沈黙して、玉翠の『おほよしきり』の画幅をみて居ると、老人は得意げに英世に云うた。
『英世さん、いゝ画だらうがな、此の間京都へ行って三百両はり込んだんですよ。みとって惚れ惚れするなあ!』
 老人は三百両といふ言葉に特別に力を入れて云うた。英世が欄間に視線を移すと、老人は叉特意気に、
『此の欄間は、大正の左甚五郎と云はれてゐる、名は忘れたが、京都の彫刻家に彫って貰ったのだが、高くつきましたぜ!』
 万事が此の調子だった。謙次郎は、品物の善し悪しを凡てその価によって評価した。欄間も紫檀の机も、庭の燈篭も、支那渡来の籐の敷物も、仕舞ひには謙次郎の妻のさした花にまで価格をつけた。

 庭をながめてゐる不憫な老人を静視すると、もう六十の坂を越したであらう。髪の毛は白く、皮膚はたるみ、その色は、茶褐色に変じ、此世の思ひわづらひの為に、無数の縦皺や、横皺が、彼の金銭に対する苦闘を具さに物語ってゐた。着物だけは大旦那らしく、越後のかたびらに博多帯を締めて絽の羽織まで着込んでゐた。