ビタミン及びホルモンと撰択性 国際平和協会機関誌「世界国家」(一九四八年七月号)

 更に血液に含まれている元素の問題、或いはビタミン・ホルモンの問題を考えるとき、我々の想像もつかぬ程霊妙な撰択性が血液の中に働いている事を知るのである。血液に含まれている砒素は、卵子が八百匁の赤坊にまで大きくなるためには必要なのであるが、妊娠していない時は不必要であるばかりか有害でさえあるのでこれを排泄する。

 血液中の砒素の関係であろうか、女子の癩病患者の数は男子に比し三分の一にすぎない。かくの如く母となるべき身体は護られているのである。硫黄もマンガン等も又血液中にあって作用している。有名なマッカラムの栄養新説によれば、マンガンを微量、哺乳動物に与えると、子供に授乳し、マンガンが少いと、する事を厭がるそうである。

 更にビタミンについて面白い事は、ヴィタミンCのある食物と、入っていない食物を与えて、その乳の中のヴィタミンCの量をしらべると、Cを欠いた食物を与えた時にも、乳の中には赤坊に必要なヴィタミンCが含まれている。これはどうしても母の体内でヴィタミンCを創造しているとしか考えられない。

 それ程母体は不思議な合目的性をもっている。乳も又血液のもつ免疫性と同じ様な合目的性をもっている。乳は赤坊が吸うまでは脂肪や血であって、乳房は乳の瓶ではない。赤坊が吸う瞬間に原子価の差を利用して血や脂肪が乳に変る。これは想像もつかない程早い機械的作用である。牛は一年間に何万ポンドという乳を出す。

 仔牛はその栄養によって育つ。これは大宇宙に内在する合目的性を考えないと分らない。ホールデンは「ある動物は何故小さいか」という事を研究した。蟻や蜂は呼吸作用――即ち酸素を吸収するのは皮膚から出来る。というのは半インチまでならば。皮膚から空気が入り得るからである。それ以上に。身体が大きくなると、奥まで空気が入るためには肺が必要になって来る。こういう事情のために、昆虫の大きさは現在の程度で止ったのである。

 感覚器官についても同様な制約があって、目についていえば、波長即ちオングストロム(Å)(一億分の一センチメートル)の関係から目の大きさもきめられる。人間の目には五十万の細胞がならび、色を見分ける事が出来るが、鯨、象だからといって大きい目は不必要である。又あまり小さいと、蟻や蜂などは複眼にして、その不便を補っているが。遠くを見る事が出来ない。

 その他。水、酸素についても約束がある結果、動物の空間に占める位置について制約が生ずる。動物は事情の許す限り、大きくなろうとするが、大きくなると構造が複雑になる。合目的論によって考えないと、生物の構造の説明がつかない。又合目論的宇宙観をもたないと動物の進化を理解する事が出来ない。進化というのは物的世界の傾向――方向性を意味し、どの物体も、光も、電気も、超短波もすべて方向性をもつ。それに選択性が与えられ、ある方向、ある部分の撰択が目的として現われる。それがコロイド膜にあらわれ、原子価にあらわれ、広く、物理的、化学的、生理的世界にあらわれ、更に心理的世界に現われ、最後に良心的撰択性として合目的の世界をあらわすのである。

 宇宙は、十九世紀の中頃、簡単に唯物論で説明された様な機械的なものではない。物理学、化学、生理学の奥深い研究が進むにつれて、宇宙が生理的世界より心理的世界へ更に霊的世界へのび上ってゆく指向性をあらわしている事が明かにされはじめ、精神的宇宙観が獲得された。我々の中には生命の出発における第一原理、即ち先験的確率性が存在し、我々をして絶対自由の世界、大きな生命衝動の内部に伏在する目的性の世界へあこがれしむる様に指さしている。

 生命の世界は決して、無秩序、無組織な中にはあらわれない。安定性のない所には生命は実現し得ない。目的のある世界をつくるためには。安定と持続と保存性の機械的構造が必要である。機械なくして目的なく、目的なくして機械はない。目的が大なれば大なる程、機械性を大きくせねばならぬ。機械性とは組立性であって、あらゆる変化性と力と成長性と更に選択性と法則性とをあわして組立てた世界が機械である。機械性の中に撰択性が窺われ、機械性を通して大きい生命があらわれる。機械的宇宙観と目的論的宇宙観とは二律背反に陥ると考え、宇宙に目的のある事を否定する。然しかゝる誤った思想をすてゝ、偶然をも利用し、撰択して。発展してゆく宇宙の意匠を見なければならない。その時はじめて、大宇宙は生命の世界に向い、更に心霊の自由の世界にのび上って行く事がはっきりと把握されるのである。

 今後にますます発展をつゞける新しい物理学、新しい化学こそ、我々の新しい宇宙観を第一原理の方へ導くものである事を認識する。かくして。新しい科学と直観的宗教生命観との間に再び一致を見出し得るのである。  (一九四八年七月号)