刀剣は止針にも値せず 国際平和協会「世界国家」(一九四八年九月号)

  刀剣は止針にも値せず

 剣が社会を作っていた時は、もう過ぎた。刀が日本魂だなどと考えている時は、もう過ぎた。愛の外に日本の精神はもってはならない。愛は最後の帝王だ。愛の外に世界を征服する者はない。世界帝国の夢想者は凡て失敗した。刀剣の征服は一瞬であって、その効力は止針にも値いしない。  (一九四八年九月号)

 涙の蒸発

 久しく訪れざりし 讃岐豊島に 今日は また帰って来た。
 日華戦争から 太平洋戦争まで 巣鴨刑務所を出て ここに自らを追放し
 島影に祈って もう三年の歳月はながれた。
 その間 日本は 倫落から 倫落へ 亡国の悲哀を味った。
 集団強盗は横行し スリは駅にあふれ
 ヤミ屋は列車を 占領し 赤旗が 法廷に 翻る時が来た。
 そして 私は 平家の落人のようになって
 村から 町へ 町から村へ 泣きつゝ 日本の往還を 涙でふいて廻った。
 神の国を慕う者も 多く見つけた
 だが 日本は少しも明朗にならない。
 内海の水平線は 一直線にひかれ
 静に 天空とつらなる。
 ここだけが 地上と天界の相つらなるところ
 冬の太陽が 温いまなざしを向けて 島々を祝福してくれる。
 太陽は 日本が 亡びたことを知っているが
 その涙を蒸発させるように努力してくれている。
 彼は 戦前戦後同じような顔をして 少しも苦しい素振をしない。
 彼が温めれば 魚も水におどり 松も 小鳥も 笑む。
 されば 太陽よ 日本の涙を 蒸発してくれ。
                     (一九四八年九月号)

 武蔵野のかえる

 桜はまだ蕾を綻ばせず、麦は大地から、恐る恐る首をつき出して今年の天候を伺っている矢先に、武蔵野の蛙は元気よく、冬眠から醒めて産卵をはじめているのだ。蛇の目ざめる前、野鼠のあばれ出す以前に、裸坊主の蛙は敵のいない事をよく知って、ちゃんと生命の実相をわきまえ、夕闇のせまる頃、如何にも気持よさそうに、蛙としては珍しい美しい声を出して、二声三声鳴いていた。

 みゝずでも、なまこでも、さては、いかでも、たこでも、原生虫のアミーバや乳酸菌に至るまで、創造主は武装もしていない無防備の生物を地球の上に生かしていられる。武蔵野の蛙もその一つである。

 蛙に角のあるわけではなく、鱗も、甲羅も、毒牙もなければ、鋭い爪ももっていない。しかし、この裸ン坊の蛙は他の動物の目ざめる前に、寒さをおかして産卵する勇気をもっていた。ただそれだけで、この種族の系統はっきないのだ。田の中、池の畔、このあわれな両棲類は岡でも、水中でもさては泥の下でも、冬の間絶食して生きて行く工夫を知っている。こうした天の父は人間から見れば、無産者以上にあわれむべきこの蛙の生存を許して居られる。この蛙が日本だけでも恐らく、北海道から九州のはてまで、何億、何兆生棲しているか知れない。もずに食われようが、蛇におっかけられようが、蛙は種の絶えた事はない。

 これを思えば裸にせられた日本とても、そう心配すべき理由はない。「武蔵野の蛙を見よ、彼等は鉄砲も持たず、飛行機ももたざるなり。されど尚神は武蔵野の蛙を生かしめ給う。まして汝等をや。あゝ日本人よ」と私は叫びたくなる。

 幼い時から田圃のほとりで大きくなった私は多くの蛙と一緒に大きくなった。このせちがらい世の中にもう一度蛙を思い出して蛙からゼネ・ストもせず、波状ストライキもしないで裸でいながら結構生活してゆくその工夫を教えて貰いたいと思っている。  (一九四八年九月号)