愛の王国を建てよう 国際平和協会機関誌「世界国家」(一九四八年十月号)

 革命は一日にして成る。ザア・ニコラスは、クロンスタットの砲声に驚き。ケレンスキーは戦わずして逃げた。キールの一撃はイザル・ウヰルヘルム三世の王冠を射落した。

 然し、愛は一日にして成らない。

 愛が一日にして成らないから、民衆は容易なる剣銃の道を選ぶのだ。そして人類は永遠に剣の刄を渡らせられる。渡り損ねたものは、その儘引裂かれて倒れるのだ、人類の手品師よ。兇女よ、魔術師よ、世界の凡ての剣の刄の上を数箇師団が通れるか計筧してくれ!

 私は失望しない。地上の愛の旱魃を見て怖れない。私は更に数尺か、数百尺か、衷なる自己の魂を掘り下げよう。愛の泉は、地上に求むることは出来ない。それを生命の源に尋ねゝばならない。

 悲しき日よ、去れよ、剣銃の手品師よ、往け、私は神と共に愛の王国を地上に建てねばならぬ。
 さらば十字架も、死も来るがいゝ。それが愛のためならば、私は悦んで死のう。  (一九四八年十月号)

  つゆ草の招宴

 初秋の野道小溝の側に露の玉を抱いたつゆくさが、私を甘露の宴に招待してくれた。太陽はまだ昇らず、松虫は昨夜からセレナーデを継続していた。

 かやすがは縁の長細い葉を拠物線形に垂れ、かやつり草は清爽な姿を清水に写していた。密生したはこべは弾力性を持った羽根蒲団のように、畝道を蔽い、雀のかたびらは薄絹で作ったうすものをかぶって招宴に参列していた。おばこもたでも水そばも露草の招待を感謝して集って来ていた。「クローバ」も萱も母子草も遅れ馳せにやって来た。蓬も宴席の隅っこに。首を延ばし荒地野菊までが、今日は愉快そうに。会場の中央に頑張っていた。

 宴会に招れなかったたにしは、溝の底の沼の中から顔を突き出して、舌をなめずり廻して皆が手に持っている甘露の盃を凝視めていた。くつわ虫の指揮で管絃楽が始められると、松虫、鈴虫、くつわ虫が美しい交響楽を奏し始めた。それらは凡て天を讃美し、生命の秘義を唄ったものである。

 序曲のまだ終らない中に紫色の上衣に紫色の裳裾を着けた、招宴の主人公露草が黄色の頚飾をつけて、皆に黙礼した。すると招待せられた会衆は総立ちになって、天よりの甘露を感激の声を放って乾杯した。

 小溝の中ではめだかの舞踊が始まった。東天は黄金を溶かしたように、アウロウが太陽に先駆した。その時、近くの森の蝉が朝の礼拝楽を奏し始め、それに呼応して、田圃の蛙も今年最後の吹奏楽を初めた。野路は急に賑やかになった。

 露草は、その間別に何にも発言しなかった。たゞ天与の甘露を思う存分、飲むようにと皆に勧めた。
 太陽が出た。すると、小溝の中のめだかの舞踊は、すぐ止み、萱、菅、クローバーは、まぐさ刈る小僧の足音を聞いて急いで姿を消してしまった。

 鐘の音が続いて鳴った。宴会場は大混乱に陥った。然し、さすがの草刈小僧も露草の艶麗な姿を見て、それを苅り取ることを躊躇した。

 露草は、草苅人夫の姿を見送って、私に少し残った甘露の盃を差出した。太陽も、我等の仲間に入れてくれとやって来た。私はそれを太陽に捧げた。太陽はすぐそれを呑み干し、今日の日課を続けるために西に急いだ。

×  ×

 露草は太陽を見送って後、相変らず、沈黙の儘、クローバの苅取られた所をみつめていた。蟻が訪問してくれた。露草は懐中に隠していた香気のある蜜を取り出して、蟻に渡した。すると、蟻はよそから運んで来た露草の雄芯の花粉を彼女にうやうやしく渡して立去った。それを貰った彼女は、嬉しそうに破顔一笑、雌芯の入口の戸を閉めた。露草の沈黙は続いた。彼女は野路を過ぎ行く人を迎えては見送り、世の毀誉褒貶を超越し、朝毎に私を甘露の宴に招いてくれた。私もそれには満足した。

 私は秋の来る度毎に、露草の一族に歴代招待を受けている。彼等は、野路に起る凡ての苦難を克服して、相変らず天恵の甘露に感激の生活を送っている。  (一九四八年十月号)