征服国家と好意連邦

  征服国家と好意連邦

 世界歴史を貫く一つの真理は、暴力によって、かつて世界国家が成立し得なかったことである。それにかかわらず、レニン、スターリン毛沢東は、暴力によって、世界国家が出来ると思うている。

 自主自営の国家組織は、互助犠牲の精神を憲法とせねばならぬ。イデオロギーを押付け、自己流の唯物論に賛成しないものは凡て殺してしまうのでは、社会進化も、人間成長もあり得ない。

 成長力は物ではない。エネルギーが撰択的に正常波をえがき、罐詰になる場合にのみ、意匠性を持つ。「物」が生命に、つながってくる。「物」さえ然りである。人間と人間が、好意によってつながらず、撰択的に正常波を画かず、「場」の秩序を守らず、暴力と偶然とを、絶えず用いることを理想とする場合、ソビエットがいくら努力しても、結局、それは白骨の記念塔にしかならないであろう。
 唯物弁証法と唯物暴力革命の行き方は、破滅であり、崩壊であり、発狂であり。混乱である。卵より雛への道は、秩序と成長と撰択と互助である。

 世界連邦への道も、同一であらねばならぬ。私は、この意味において世界連邦意識は宇宙精神への宇宙意識でなければならぬと思う。いやでもおうでも、この運動は精神的なものであり、かつ、この精神を具現する愛の社会化であらねばならぬ。これ以外に世界連邦の成立はありえない。我らは世界連邦の社会化のために、政治にいそぐ。だが、政治は時局的のものである。世界連邦は永遠の運動であり、超時局的である。だから、この運動は永遠に好意的なものであり、また具体的な、理想主義的なものであらねばならぬ。  (一九五一年四月号)