主権の制限と世界国家

  主権の制限と世界国家

 フランスとイタリーは、その新憲法に、主権を制限して、世界連邦国家に参加すべきことを用意している。世界の諸国家――アメリカも、ロシアも、これにならい、その主権を制限して、軍事と外交に関する限り、これを世界連邦に委譲することにならなければ、ロシアが云う共産国家も空想であり、アメリカの主張する民主主義も世界的に実行し難い。

 世界列国が、小さい殼の中に引籠って、その主権を主張する間、世界平和は来ない。原生動物(プロットゾア)の中には、時季によって、単立で行動するけれども、またある季節には、複合体を作るものがある。これは、一種の同盟国家に似ている。

 文明国は組織をもつ。系統、系統が各々独立していても、頭は頭として働く。主権を八釜しく云う間は、原生動物の形態から、脱出することは出来ない。世界協同体は、文明の一大飛躍を意味する。ロシアが、まだ暴力共産主義を主張する間は、有機的協同体の根本理論に目醒めていると云うことはできない。

 母は暴力なくして。子を産む。学問の進歩は、暴力によらない。郵便や、電信の世界的制度は、暴力によって進歩したものではない。一致と協力と、連帯意識の発達によったものである。主権の制限は、この連帯意識の目醍めと正比例する。文明が新しき形態をとらねばならぬ今日にいたっては、ロマ法よりジャスチニアン法となり、さらに、協同体憲法と進歩発展せねばならぬ。主権の制限は、法理学的にも、当然、考えられねばならぬことである。

 日本も、世界連邦国家を創始する為めに、進んで主権の制限を、新憲法に挿入すべきである。  (一九五一年五月号)

欧米の世界連邦運動

 英国において昨春、ボイド・オア卿には、二回ほどお会いした。英国の世界連邦運動の本部をも訪ねたが、狭い小さな部屋で辛棒しているのには感心した。運動資金の乏しいことで、オア卿も閉口していた。私は、この国の国会委員会にも頼まれて、講演をしたが、そのとき、四十人ほど集って居た国会議員の大部分は労働党の人々であった。しかし、そもそも英国で此の運動を始めたのは、チャーチル氏などであって、むしろ保守党の人たちが、早くから熱心にやっており、それを労働党が、あとを継いだ形になっている。現に、いま中心になっているアスボーン氏なども労働党の少壮議員である。

 オア卿は、人も知る食糧問題の権威者で、八十歳にも近い老齢である。つい最近まで、国際連合の食糧農業機構(FAO)の事務総長をやっていた。その道の専門家であり、栄養学者でもあるのだが。何しても経済の問題には、弱っていた。

 ロンドンでは、平和運動には最も熱心なクェカーの本部を訪ね、世界連邦運動にも、是非乗り出してくれるようにと頼んでおいたが、その後、パリでローマ会議の準備会が開催されたときなど、クェカーの国際センターが、その会場になっておるなど、うれしい反響と思った。どこの国でもそうだが、協同組同の人々は世界連邦に熱心だ。英国に於ても然りで、労働党の中でも、協同組合の世界貿易運動をやっている人々が、文句なしに先頭に立って、世界連邦運動をやっているということだった。

 百万人について一人の代表を出して世界憲法会議を開くという計画も、実行はなかなか容易でないので、私は、何といっても気永がな教育運動が伴なうべきだと言い、それには、宗教団体なり、教育団体なり、労働団体なり、協同組合なり、大きな組織をもち沢山なメンバーを擁している各界の団体々々から代表を出して、教育中心の世界会議を開くようしたらよいという事を提言しておいた。今回のローマ会議には、従来と方針が変って、そうした配慮がなされているようで、よい傾向と思っている。

 欧州で近頃始まったもう一つの運動は、村なり町なりが、住民の投票により宣言をして、二重国籍をもち、「世界領化」を名乗ることである。私の滞英中、たまたまドイツで、世界国帰属を宣言した都市が出来たから臨席してくれというので、祝電を打っておいたところ、警察が何か誤解したか、私に尾行をつけるという、おかしなこともあった。こんなことは、フランスでは何でもないことで、すでに四百に近い村や町や都会が、ぞくぞくと「世界領宣言」をやっているがフランス政府は、それを何とも思っていない。それもその筈で、フランスでは、早くも一九四六年から憲法を改正して、「世界国を作るためには、自国の主権の一部を削っても、それを実行する用意がある」――とハッキリ明記しているのである。そこへいくと、英国は、そうはいかない。英連邦(ブリティシュ・コモンウエルス)に、インドが入ったために、八つのセクションがあり、それが未だ、よく固まっていないので、英国としては、英連邦で手いっぱいで、それ以上のことには、及びかねるという心配もあり、世界連邦となれば英連邦と二重になるという気持もあるらしい。英国も仲々たいへんで、アメリカから二十七億五千ドルも借りているが、それは殆んど英連邦の植民地政策に注ぎこんでいる有様だから、或る特殊の人々の外は、世界連邦にまで力を入れる余力がないというのが、正直なところであろう。

 また政治家としては、当然、これは総選挙と結びつけ、一票を争う選挙の政綱としなければならないわけだが、実のところ世界連邦を掲げたところで、そのため得票が増えると考えるものよりも、むしろ票の減ることを心配する者の方が多い有様のように見うけられた。

 そこへゆくと、フランスはハッキリしたもので、民衆が「これ以上戦争があってはたまらん。戦争をなくする為めなら国籍をも返上する」という気持ちが、非常に強いので、都市や町村の世界領化が、どしどし行われているのである。この運動は、最初、ピレネー山脈の小さな町村から始まったが、今では非常な勢で、欧州の国々に拡まっている。中世のハンザ同盟の時と同じで、分れて対立していたのでは、いつ戦争になるか判らぬから、小さい主権に、こだわっていないで、大きく一しよになってしまおう――戦争をなくするためなら、小さい主権など棄てゝもかまわないという、強い要望が起っているのである。

 ヨーロッパで最も世界連邦の運動に熱心な国はデンマルクであり、スウェーデンであるといってよかろう。これらは、何れも協同組合運動の盛んな国々であって、話が、すぐとわかるのである。ノルウェーも盛んだが、これは少々、おもむきを異にしている。というのは、こゝは商業国で、人口三百万ぐらいなのに船を六〇〇万トンも有っている。商業国の悪い癖の一つは、世界連邦に余り熱心せぬことである。そこへゆくと、スウェーデンなど、世界協同組合連合の常任理事国であるだけに、その立場から世界連邦には、頗る熱心である。そこで、私は、ローマ会議には、ぜひ協同組合の代表を参加せしめるようにという事を、提言しておいた次第だ。次にヨーロッパの動きで、存外、日本に知られていないのは、欧州議会パーラメント・オブ・ユーロープ)の運動である。これは、主としてチャーチル氏などが首唱して、今日に至ったが、すでに昨年から成立して、実際の活動に入っているのだから、この動きに対し、も少し、我国でも注意が払われてよいと思う。ヨーロッパには二十五の国があり、そのうち九カ国は、コミンホルムに入っており、中立はアイルランド、スイス、スペイン、ドイツの四力国であるから、あとは十二力国となる――これが欧州議会を組織しているのである。

 はじめに、外務大臣が集って外相会議を開き、これを「欧州協議会」といっていたが、何かを決議しても、各国の議会が、それを受入れず、否決することが頻々としてあるので、外相会議だけでは、ダメだという事になり、各国の議会の代表――外務委員会が結びつくよりはかないという事に気がつき、かくして「欧州議会」が、ストラスブールに出来上ったのである。そこで、さしずめ前からの外相会議が上院の形になり、欧州議会が欧州連邦の下院という形になっているわけで、年四回開会されて、既に、その実際活動に入っている。

 こうしてアメリカ合衆国のような組織に、ヨーロッパをしてしまおうというのが、欧州議会を唱える人々の狙っているところである。この雛型は、アジア連邦を作る場合の参考にもなると思う。チャーチルがこれを唱え出し、アトレーも、ベヴインも、これには賛成している。

 さて英連邦の頭痛の一つは、アフリカの黒人の間に、非常に根強い独立運動が起っていることで、殆んど毎月のように暴動がおきている有様である。そこでチャーチルは、ドイツをも許そう、ドイツも入れて欧州は固く一つになろうというのである――そうしなければ、欧州文明は、つぶれてしまう、といって一生懸命である。

 ではドイツは、どんな空気か。私は、昨年四月四日、西独に飛んで、ボイス大統領に会った。彼は、キリスト教社会主義の人。さっそく「欧州議会に入るかどうか」と訊くと。ホイス氏は「それは無理だ。ドイツは今占領下にあって、東西に分れておるし、第一、そういう事は、国会が決めるべき性質の問題だが、まだ統一選挙も行われておらない現在であり、私が返事すべき時になっていない」という答であった。

 ドイツ訪問から再び、私は英国に帰ったが、丁度その頃――四月初旬から中旬にかけ、フランス大統領が、大戦中の協力に対する御礼言上の為め、ロンドンに英国王を訪問し、大歓迎を受けていたが、その時、フランス外相シューマン氏が、「宿敵のドイツを許そう。ドイツから奪ったザール地方の鉄と石炭を返そう」「英国も占領しているルール地方の鉄をドイツに返したがよい。これらの鉄と石炭をプールして仲間にしよう」という、所謂「シューマン計画」の爆弾提議をして、世界を驚ろかした。もう分れ分れになって敵対していたのでは、欧州は立ってゆけないと気づいたのである。

 これに対し英国は――主旨に不賛成というのではないが、自分の方は、高度の社会主義を実施ずみで、鉄も石炭も国有国営にしているし、社会保障なども立派にやっている。それを。未だ資本主義の始末すらついていない国々と、卒然と一緒になるわけにはゆかない――という気分もあるらしく、参加を渋っているので、デンマルク、オランダ、ベルギー、フランス、ルクセンブルグ。イタリア、ドイツの七ケ国でやることにし、六月の初めに相談がまとまって、発足することになった。これで欧州は、ガッチリ固まってしまったのである。

 だから私は、その六月の二十五日、北鮮が南鮮に侵入し、東洋で発砲戦が始まったというニュースを聞いても、当然だとして、驚かなかった。欧州にスキが無くなったから、極東に出てきたのである。それから一ヵ月、私はスカンデイネビアを旅をして、七月の中旬アメリカに飛んだ。

 農民暴動に悩んでいるイタリア、飢饉で弱っている東欧諸国などとはまるで別天地のアメリカでは、穀物の生産が出来過ぎて、剰ってしまい。ステンレスの貯蔵倉庫が野外に林立し二十億ブッシェル(約二億石)のトウモロコシが過剰して、貯えられてある。農法が改良され、病虫害もなくなり、気候も都合よかったこともあるが、それに棉業に対する政策が変って、棉の作付面積がトウモロコシに変ったという事もあって、この結果になった。もう一つ、TVAや、コロンビア川のダムエ事など、大きな治水、水利のダム政策が次々に成功し、かくは食糧豊富の世界を現出しているのである。豊富になったのは、たゞに農業生産ばかりではない。その他一切の産業が整って、余裕綽々となり、世界政策に対する見識が、まるで違ってきている。それに国際連合が、あの通り行き詰って、うまくゆかず、ロシアが拒否権を四十回も発動させたのにシビレをきらしているところから、どうしても世界連邦でなければならぬということになり、非常に盛んな運動となっている。

 中でも世界連邦主義同盟(UWF)など、支部が七〇〇団体もあり、国連協会の十倍の勢力となっている。一番熱心なのはテネッシー州で、こゝではブライアン大統領を出したが、辯護士で熱心家のファイク・ファーマー氏などの尽力で、百万人に一人の代表を出す割合で人口三百万の同州として三人の世界国家代表を出すことを州の法律で決め、既に昨夏八月の総選挙の際それに併せて。世界最初の選挙を正式に行ったのである。

 シカゴに行ったとき、丁度、大会があり、講演を頼まれたので私は、「長い目で見て行こう。どうせ将来は世界連邦でゆくより道の無いことは判っているのだから、どんな事があっても、失望もしなければ、あわてもしない。それには、政治連動だけでは足らない。どこまでも教育中心、精神運動のバックが伴って行かねばならぬ」と言っておいた。ボージェーセ女史も、そうだといって賛成してくれていた。(世界連邦日本国会委員会にて講演の一節――三月五日)  (一九五一年五月号)