意識的平和機構としての世界連邦
意識的平和機構としての世界連邦
機械的平和運動の平和運動は権力国家を連合させると、それで平和がくると考える簡単な機械主義から来る。暇がかゝり、人間の意識の覚醒を待った上で、それを綜合して平和機構を造ろうと云うのが、世界連邦の運動である。
或種の精神運動、シャカの教訓とか、キリストの垂訓などには、平和運動の原則がある。しかし、残念ながら之を全人類の具体的国家組織として盛り上げる努力が払われていなかった。世界連邦の運動は、この個人的自覚を組み合せて、世界連邦にまで盛り上げて行こうと云うのである。
世界連邦の運動は、戦争絶滅の政治運動であると同時に、それは戦争絶滅の経済機構でなければならぬ。この政治的、経済的平和運動は、国際的平和教育の根底を持たねばならぬ。だから、我らは国際連合の組織やユネスコ運動の如き国際的文化運動の凡ての機構の凡てと協力し、その上に世界連邦の組織を発達せしめる忍耐力を持たねばならぬ。従って、この運動は国家的条約を無視するものでない。また国際連合を無用なりと主張するものではない。否、世界のあらゆる平和運動の凡てを綜合しなければ恒久の平和は来ないことをよく知っている。
従って、あらゆる平和運動と我らは協調する。しかし、権力国家による条約や、同盟は国民の意識運動でないために、国民感情の変化と共にすぐ崩れてしまう。第一次世界戦争の後にウィルソン大統領の理想によって生れた国際連盟が、ドイツ、イタリー、日本の脱退によって崩壊し去ったことによっても、この種の平和運動が大戦争の前に全くもろいものであることがよくわかる。
世界連邦の運動が、人類個々の意識の覚醒を基礎にした「人民会議」或は「市民会議」を主張するのは全くこの欠点を補わんためである。だから、我らは世界連邦に於て二院制の議会制度を主張するものである。上院は、国際連合を拡充し、下院は、世界人類全員の代表者会議(五百万人に一人宛位として約五百四十人)を以ってし、之によって、国家感情の変動を超越した平和意識が、世界平和の基礎になるようにせねばならぬと考える。
スヰデンはロシアに破れてから、もう百五十年近くも欧州列国に超越して平和を維持している。我らもスヰデンの如き平和愛好国が連合し、その市民の凡てが恒久の平和のために世界連邦を創設せんことを努むべきである。 (一九五七年十月号)
長らく「世界国家」をお読みいただきありがとうございました。今回で終了です。「世界国家」は近いうちにPDF版としてアップする予定です。(伴 武澄)