世界国家と武装解除
世界国家と武装解除
世界連邦主義者の四提案
今日人類は核兵器時代の到来と共に重大な時期に直面している。この解決策として、世界国家の設立は絶対に必要である。ヨーロッパの世界連邦主義者は、この世界国家について現今の国連を進化させるとよいという案を持っている。そして次の四点を世界国家組織の基礎条件として採択した。
一、国連総会を世界国家議会とする。
二、国連安全保障理事会を世界国家の内閣とする。
三、へーグの国際裁判所は今日国際紛争に対して勧告しかなし得ないが、これを恒久的かつ絶対的な世界法廷とする。
四、国連軍を世界国家の下にある新しい恒久的警察組織として再編成する。この警察軍は世界裁判所の判決が執行されるようにする。現今の国連軍は各国家所管の軍隊であるのに反して、世界国家警察軍は各国において警察軍に自主的に応募する人員をもって構成されるようにする。
これらの四ケ条の提案は、ヨーロッパの十四ケ国代表によって成るヨーロッパ連邦議会で採択されたのである。
世界国家が自ら警察軍をもって平和を維持するということは全く新しい考えでないとしても、素晴しい貢献を人類になし得るものであると思う。しかしこの新しい警察軍は如何なる侵略又は征服戦争にも使用されてはならない。我々は、この警察軍が、社会連帯意識性を基として平和目的のためにのみ使用さるべきことの確信を堅持しなくてはならぬ。指導者らがこのことを忠実に守れば、平和への道は遠くない。
世界の明治維新
約九十年前までは日本は二百五十一人の大名が互に相対していた。明治維新は、これを一掃し、日本に唯一の政府を確立した。今日世界には九十に近い国家を存在している。これらの国々を武力で征服することは到底考えられない。我々の理智と理解の力がこれらすべての国々を、一つになしうることを信ずるものである。世界郵便同盟が全世界の国々を一つの協同体にまとめた如く、一度世界の人類が、その根本において一つであるという事実に目覚める時、世界は一つにまとまることが出来る。
此の点に於いて、ユネスコ(国連の教育科学文化団体)は、目覚しい成果を上げている。それはこの団体が、何にもまして、社会的協力と奉仕の精神に基づいて活動していることが、この結果を産んだのである。世界国家実現は、国際警察組織の強化のみによらない。やはり、ユネスコが採っている方法により、相互の協力を助長せねばならぬ。かくして我々が社会連帯意識性に目覚めて来た時、初めて、世界裁判所が警察組織を以って、法を実際に執行し得る状態に置かれるのである。
世界国家と協同組合運動
更に世界的視野に立って社会経済がよく運営されるためには、どうしても、利益を考えない協同組合とか生命保険組合というような、地区的相互扶助組織が必要である。世界の経済と政治は強制によっては絶対に好転しない。むしろ自主的協力、友誼関係組織の方がよい。我々はロッチデールやライファイゼンの協同組合方式に力を注ぐべきである。此処で重要なことは、自由な、そして自主的協力は決して強要出来ないということである。それ故に私はスカンジナビア連盟とかヨーロッパ議会の如き隣接国家が地区別協力活動をすることが、非常に良いことだと思っている。
これらの地区別団体を見ると、例えば、スエーデンなど北欧の六カ国間では、旅券を廃止している。ヨーロッパの六つの国は石炭と鉄には関税をすでにかけていない。それに反し、他の諸国は政治的には未だ誠に幼稚で、政治的、経済的保障を得るために軍隊や暴力しか考えない。云うまでもなく国々の繁栄と安全保障は、相互扶助と友情によって、確立せられるのである。この原則を無視した日本は、一九四五年その誤りを知らしめられた。
原爆実験による生命の危機
日本は小国で、カリホルニアとオレゴン州を一緒にした位の面積にも足りない。それで、日本の漁夫が公海で魚を捕らなければ、日本人は蛋白資源に不足する。日本を囲む国々は、日本の苦境を少しも理解しないのである。そして、アメリカも、英国も、ソビエット・ロシアも、原水爆の実験を絶え間なくやり、太平洋の魚類を通して日本人は放射性物資を受けなくてはならない危険にさらされているのである。
日本漁船に乗込んだ一無線技師は、一九五四年ビキニ水爆実験の「死の灰」をかぶって死んだ。かく強大国が自ら国家防衛の名の下に、核物質の実験のために公海を切り刻むならば、日本の漁民は今までの漁場を失い、日本の国民は只でさえ足りない蛋白資源を全く失ってしまう。我々は世界の「大洋」と「光線」と「空気」は総べての人に属するものと信じている。然し強大国は、今日小国が公海で漁をする権利を拒否しているのである。
毒ガスは国際法で使用禁止されている。それと同じく原水爆も禁止されなくてはならない。でなければ、全人類は何時かは全滅するか、叉は空気中の放射性物質によって、遺伝的に退化してしまうであろう。
すでに遺伝学が証明している如く、将来我々の子孫に放射能が多大な影響を与えると云うことは疑う余地がない。今日、人類がこのような危険にさらされていることが、わかっているにもかゝわらず、国連は断乎とした処置をとっていない。世界国家が絶対必要であると云う理由が此処にある。世界国家によってのみ頼り所のない小国を喰物にして恐るべき暴挙をつゝしまない強国を制禦する事が可能である。
国際連合より世界国家へ
それでは、我々の主張する新しい組織――世界国家とは何であるか。つきつめて云えば世界裁判所と世界警察制度が、世界政府にはなくてはならない組織である。今日の国連の火急時動員軍は、常備警察制とは異るものである。国連の火急動員軍の様なものでは、数に於ても組織から云っても弱く、根本対策に何ら役立ち得ない。この様な弱小な力に法と秩序を守らせるとすれば、世界裁判所は、便宜主義者達の勝手な考えで、裁判所のなす正しい判断が歪められ、その存在の意味を成さなくなってしまうのである、新しい世界国家の常備警察制度が設置せられるとすれば、その構成人員は(国軍の分遣ではなくて)個人的に又自主的に応募したものでなければならない。又その警察軍は飽くまでも最後的手段として用いられなければならない。法を無視する分子を制禦し、侵略国家を法と秩序の下に置く為には、警察軍をもってなすより経済封鎖の方がより効果的である。この経済封鎖が充分意味をなし力をもつ様になる為には、世界全体に強力な経済組織体を作って置かねばならない。
国連総会が世界国家議会に移行される場合に、重要かつ複雑な問題がある。世界国家議会は一院制か、それとも二院制を採るか。各国からの代議員数は、議員の全体数は多勢にするか少数に止めるべきか、等々。適当な代議員数にしようとすれば、五百万に一人の代表にすることを私は提案する。これは、今日世界人口が二十七億であるから、世界議会には五百四十人の代表が出る訳である。この場合例えば、中国は百二十、インドは七十の議席を持つということになる。
それとも、全く別の方式により、代表は各国の非文盲者の数を基準として選出するべきであろうか。
世界議会を二院制とすれば、国連総会に当る国家単位の代表を上院に集め、世界一般大衆からそれぞれ異る民族人種の代表を以って集まるものを下院とする。それによって、グループの不満を阻止し或いは際限ない討論を上院でまとめることが出来ると考えられる。
下院もしくは人民総会の議長は、国連総会が今日実施している如く異る民族から選出する。そして一つの民族から他の人種へと力の均衡をはかるために持廻りにする事が良いであろう。
世界国家における内閣が行政実行部門となる。ヨーロッパ議会の憲法委員会では、国連の安全保障理事会をこれに充当するように提案している。しかし、もし下院議員が、各々異なる民族人種を代表する一般人民からの選出者である以上、この中からも内閣に参与することが望ましい。時に応じて地区別経済文化会議を開く必要がある。これは、ヨーロッパ議会が三ヵ月毎に会合している如くするがよい。これは、各地区における特殊な厚生福祉問題を討議する場となる。
唯物主義経済と兄弟愛による経済
今日、世界は二つの対立する主義で国々が分かれている。一つは共産主義国家群であり、今一つは自由民主国家群である。共産主義国家群は、唯物論と唯物史観で世界征服をなさんとし、民主主義国家群は自由主義的順向にある。これらの根本的相違は、その目的達成のための手段にある。共産主義者は自由世界の国と異なり、暴力による革命をもって社会進化をはかろうとしている。彼らは至るところ厳重な統制経済を行い独裁政治をしている。
然しながら、社会の進歩は人間の発明発見によってもたらされるものである。暴力はこれを阻害する。唯物史観・唯物論は、社会の智的進歩を阻止するものである。私が前に述べた社会連体制こそは、世界平和への必須条件である。これは兄弟愛意識であって労働者も専門家もどちらが仕える仕えられるというのでなく、愛の絆で一つであるという意識である。この良き隣人意識と相反して、憎悪をもってする政策は、社会を底知れない疑惑と不安に陥し入れる。これは人を信頼するということと程遠い。然し相互の信頼感が社会連体性の基となることはいうまでもない。ハンガリア動乱は、深く根ざした隣人への不信が外面的に現われたものである。
軍事力に支えられた独裁政治で統制経済をしくのは難しいことではない。このような体制の下には、すべてが軍の権力下にあるから、失業者はないかもしれない。しかし、ここで大事なことは統制経済と計画経済を混同してはならないということである。共産主義者は、資本主義体制を破壊しようとねらっている。統制経済は簡単に資本主義体制を、ぶちこわすことが出来るであろう。けれども、統制経済のみがよりよき社会をもたらすと簡単に結論するのは間違っている。
計画経済で社会を円満に運営するには次の三つの条件が絶対に必要である。第一に発明的人物。第二には社会連体性の基礎としての協同社会。第三には社会主義的団体と、社会の推進力としてその舵をとる指導者である。
例えば、計画経済下にある社会保障は軍国主義国家では成功しない。というのは、皆自分達の預金が戦争に使われることを恐れるからである。これは、ヒットラー政権の時、ライファイゼン協同組合生命保険本部が、スイスに逃亡したことを見てもわかる。レニンがロシアで、農民共同組合の解体を命令した時、幾万という人々が餓死した。農民は都会の労働者によって搾取されることを恐れ、協力をこばんだ。当時ロシアでは、今日世界諸国でもこの傾向が見られるが、近代工業労働者が農業労働より高く評価された。
そこでは労働組合の方が農民より勢力を得る結果となる。そうなると、農民の方も自分達で必要以上の食糧を生産しまいということになったのが、一九一八年以後ロシアの各大都市をおそうた大飢饉となったのである。今日、ハンガリー、ポーランド、その他衛星諸国での反動は前にロシアで、協同組合を一掃してしまった事から、農民と工場労務者が連帯意識を失ってしまった時と同じ様な現象を示している。それで、一九二一年四月には、レニンは失敗を認め、協同組合運動を復活させたのであった。
共産主義衛星国の指導者達は、今もって同じ失敗を繰返している。彼らは、上部での管理管轄がすべての経済問題を解決すると思っている。然し共産主義者がもっと、協同組合を上手に利用出来る様にならなければ、経済神経系統は経済全体を充分に繁栄さすことは出来ない。
世界史の動向と世界国家への道
今日世界は、共産圏と自由国家圏との間の協力を必要としていることはいうまでもない。社会進歩は侵略戦争や暴力革命では出来ない。友愛精神に基づく協力こそが、単なる一時的夢としてでなく、実現可能な世界平和への人類の理想に花を咲かせ得る推進力である。世界国家の設立は、人の心に根ざした要求と平和への願望の目覚めから出発しなければならない。
現今の世界は、独立国家が、乱立し、核兵器戦争は、何時でも始められる。そこには、一致も親密感もない。各国は文化国家であるかも知れないが、社会的には首狩人種である。
十六世紀以後。西欧諸国は大陸を、又地球上至るところを征服し、植民地としてしまった。しかし、時を経て、植民地の人民は独立を希望し、自己の政府を打ち立てようと猛烈に戦った。今日新しいものと復古調が併行し、我々は歴史の分岐点に立っている国家主義的分裂より、一つとなる事が新しい目標とならなければならぬ。無数の分裂国家を作ろうという旧式な考えを捨て、大連邦国家制を世界的に拡大する時が来ている。スイス或は米合衆国は、連邦国家制をそれぞれのスケールで、うまくやっている良い例であると思う。世界国家は、この連邦方式をもって地球をおうわんとするものである。此処に掲げた様な地球全体を一つにした連邦体制を以ってこそ、平和と非武装は実現し、人類進歩と福祉の新時代の到来がある。我々はこの方向に進むべきである。 (一九五七年八月号)