颱風は呼吸する1

 颱風は呼吸する

   颱風に備へよ
      ――序に換へて――

 人間も呼吸すれば、颱風も呼吸する。悪血を浄化するために、人間は呼吸し、地上を浄化する為めに、颱風は呼吸する。
 おお颱風は呼吸する! 赤道を北に颱風は呼吸する。烈日は低気圧を作り、熱線は北に動く。然し、熱するものは大気だけではな
い。人間の血もまた熱する。寒流は北より流れ、低温は南する。悪逆の血の叛乱する日、天恩は豊かに人類を育み、罪のいや増すところ、恩(めぐみ)もいや増す。
 日本の上空を通過する低気圧に、東亜は震駭し、大陸の空気は険悪を加へる。
 そも、日本をのみ通過する颱風は、何を意味するか? 米の鳥人リンドバーグも日本の北海には、不時着陸し、仏の空の勇者ジャピーも玄海には、その翼をすぼめた。日本列島にのみ、颱風はそのコースを選ぶ!
 颱風過ぎて、更に新しき颱風は起り、屋根を飛ばし、家を倒し、船舶を沈め、人畜を傷ける.
 颱風は呼吸するよ! 颱風は! それは時計の針とは反対に螺旋を画いて北に進む。見よ、「通り魔」は、一進一退、根強く呼吸をつづける。かくして、歴史は繰返し、叛乱はつづく。
 然し、その凡てを貫いて、宇宙意志の標的は変らない! 罪のいや増す所に、恩もいや増す。発熱する所に治癒は始まり、痛傷のある所に、恢復も約束せられる。されば南風よ、呂宋(ルソン)島を西北西に吹く風よ! おまへの吹く日に、私は雨戸を閉し、門を入れ、屋根瓦を網で蔽ひ、颱風の呼吸するを待たう! やがて、西は白み、乱雲はとぎ
れ! 太陽は積雲を裂き、また青空が日本に親しむ日がこよう!
 南の測候所の旗は、なんと予報するか?
 秒速三十五メートル、颱風! 中心地、支那海!
 私の霊魂よ! 静かに、慌てずに、颱風を迎へる為めに、準備せよ!
            (一九三七・一・一八 武蔵野の森にて)