黎明21 支那に於ける太平天国運動

  支那に於ける太平天国運動

  洪秀全の夢

 私は東洋に於けるキリストの使命を考へるにあたって、支那太平天国運動とキリスト教との関係を少し検べてみたい。
 今から約百年前、支那阿片戦争が起った。支那はわれわれの知る如く、三つの河から成り立ってゐる。北から云って、黄河揚子江、珠江の三つで、珠江の流域が広東の文明である。その珠江の附近にイギリスが根拠を下して、印度の阿片を売り出した。ところが、どうしても支那はイギリスの商売人に負けて、つひに香港を分譲しなければならなくなった。香港は河の近くにある島である。イギリスは極く最近、河に近い処を租借した。この附近は、東洋の宗教に関係のある処であり、ダルマが南方仏教を印度から運んで来たり、ポルトガル人がキリスト教を最初伝へた処である。フランシス・ザベリヨの墓もこの附近にある。太平天国運動もここから起った。
 太平天国創始者洪秀全といふ人であるが、この人は面白い因縁でキリスト教を知った。元来が、広東から少し離れた処にある小学校の先生であった。或る時病んで発熱して夢を見た。天から使が来て、お前上って来いといはれて、天に吊り上げられ、天から地上を見せられた。すると、支那の政府の役人が賄賂をとってゐることが判った。その時、天子が「あの国をとってしまへ、お前に太平天国をつくらしめる。お前は宇宙の神を信じて努力せよ」といった。それから数年経った。その夢がいつ実現してくるかと不思議に思ってゐた。さうしてゐるうちに突然広東に出て、バプテスト派の宣教師からリーフレットを貰った。読んでみると、それは、自分が数年前に夢で見た宗教と符合してゐる。これは疎かにしてはならないと思った。そして、その話を弟に聞かせた。弟は自分の友達に話した。すると友達は、それは大変だ、神の命令通りにしなければならぬといふので、この三人が秘密に宗教運動を始めた。そこに実に支那人的な初心なところがある。上帝を信ずる運動を、彼等三人はこっそり始めたのである。
 その当時。馬賊の形をとった、共産党とも違ふが、一種の政府反対の運動が拡まった。それにその友人が関係をつけた。が、洪秀全は自分の家にゐて、大きな運動に参加しなかった。ところがその匪賊の連中は必ずしも匪賊でありたくなく、どうしても民の政治を打破したい考へであったから、友人を通して、是非洪秀全に来てくれといふ使が度々きた。が、洪秀全は行きたくなかった。そして約一年経ってから、友人は成功して、えらい勢力を広西省の方につくった。この最初の運動は広西省から始まったのである。洪秀全が行くや否や、この運動は熾烈な大運動に変った。即ち、反政府熱と反欧主義と、そして今までの反伝統主義が一緒になって、天からの宗教であるところのキリスト教ではあるが、十字架が全然ない。旧約聖書的キリスト運動が始まったのである。そして、洪秀全はキリストを敬ってはゐるが、キリストと自分とは兄弟で、キリストは自分の兄さんであるといふ思想を持つやうになった。
 この面白い、十字架をぬかした宗教運動が大きな勢力を持ち、熾烈化したのは、ヨーロッパが革命化した真最中であった(共産党宣言は一八四八人年に発表された)。最初は三千人ほどの小さい団体であったが、如何なる者も神を信ずればいいといって、集まってくるものに共産主義のやうな思想を宣伝した。この運動は、広西省から始まって、南京まで拡がり、そこを中心として太平天国といふ国家組織が生れたのである。この当時の報告書は、支那語で書かれたものより英語で書かれたものの方が非常に多い。宗教と社会生活とを一緒にするものは、これによって非常に教へられる。

  妥協した宗教運動

 洪秀全は、北京にある支那政府と相対峙して二十五年間国を持ってゐた。彼は五つの国の王を作った。自分がその中の一国の王となり、その外に四つの国の王をつくって治めた。しかし、彼は政治にうとい上に、南京に著いてからは、妙な神秘主義と、マホメット教にあるやうな妾制度に捉はれてしまった。そして自分は神の子だといって、南方の御殿の中に這入ると、決して人に顔を見せなかった。さうなってからはこの運動はだんだん衰へ始めて、曾国藩ゴルドン将軍などによって四散され、太平天国は全くの夢と化してしまった。だが、今なほ、この運動の勢力は相当支那にある。
 彼等は『聖書』を読まない。この運動は非聖書的であって、彼等は主としてキリスト教支那化につとめた。そして初めはキリスト教の運動であったが、後には『礼記』『易経』『四書五経』の中にある天の思想と神とを一つにしようといふ考へを持った。そこで孔子の教へとキリストの教へとを全く調和さす運動がおこった。そこに、パリサイ宗の如き信仰の階級制度が出来た。ゼズヰットが階級を持ってゐるやうに、政治的階級が、信仰の階段と同じだと考へて、信仰によって政冷的発表をした。読んでみると、馬鹿らしい事が書いてある。その出発点は例の夢である。この超自然的経験は、彼を小学校の先生から二十五年問の王にした。ただ困ったことには。彼は十誠のキリスト教を信じてゐるので、モーゼの十誡を一々暗誦し、しかも強制的に信仰を命令する。一々参加の形式があって、十誡を暗誦したり、お唱へをしたりする。日本でいふなら修養団の形式とよく似てゐて、政治だか宗教だか判らない。むしろ、説教より礼拝の部分が多く、詩や歌があるが、それも変なので、十字架がないから、犠牲献身の歌がない。王に従ふことが一番いいといふ、政治即ち宗教といふ妙な運動であった。
 従って、個人の純潔は何処へ行っても見附からない。洪秀全自身は三十数人の妾を置いてゐたので、これがだんだん不平の原因になり、内部的に分裂しだし、彼の下にゐた四人の王も反対しだした。そして宗教教育といふものがなかったので、次の時代には廃滅した。殊に排他的だから、全部の宗教を排斥した。かういふ状態であったから、支那政府は恐れをなした。そこヘゴルドン将軍、曾国藩などが出てきたため、兵火に没したのである。

  非倫理的神秘主義の末路

 かういふことは、われわれのやうな、宗教運動並に宗教的社会運動をする者にとって非常な教訓になる。先づ第一に、非聖書的宗教運動が極端な形をとるといふこと、即ち歴史的発展を無視する宗教運動は感心しないといふことが判った。
『聖書』に現れてゐる歴史的流れがあるのに、『聖書』を全然教へず、幻を受けたから、その通りにしなければならぬといふやうな非宗教的神秘主義は脱線する。
 アメリカで幻を受け、御神旗といふのを掲げて、私の処に来た人があった。その御神旗を一針づつでも出来るだけ多くの女の人に縫って貰って歩いたといふのであるが、それのみを宗教の主体とすることは間違ってゐる。宗教が超自然的黙示を持つことはあるが、ただ黙示だけではいけない。最近日本では。特別に神秘を高調する宗教もあるが、われわれはただ一つの幻のみで判断してはならない。
(1)自然の中に、(2)芸術的なものの中に、(3)良心の中に、(4)歴史、即ち『聖書』の中に、(5)愛と、(6)労作の中に、(7)人格生活の中に現れるものを見る必要がある。人間が目や耳や鼻や触覚を通して、初めてここに友達がゐるに違ひないとたしかめる如く。黙示を見る方法は幻一つによらない。神秘主義的に宗数を見ることはいいが、客観的保証をうけなければほんとのものではない。あまりに主観的に見る
と間違ひをきたしやすい。グループ運動は、指導をうける時に間違ひがないといふ証拠を与へなければならぬ。私がいふ七つの方面から見て間違ひがないといふことが判ってからでないと、幻は突飛なものになる。
 一例を挙げれば、十数年前神戸にHといふ、神からの幻をうけたといふ人がゐたが、その予言の力を相場の方面に使ひ出してからは、せっかくの予言者が、たうとう駄目になった。超自然的なものは、目で見ても手で触ってみてもないことがあるから、七つの方面から見た上に、聖書に照らし合せて見て、間違ひがないといふことを確かめてから取りかからなければ。太平天国運動の如く失敗してしまふ。

  キリスト教の日本化

 最近、キリスト教の日本化を唱へる人がある。それは悪くはない。日本人としての宗教的体験が与へられるのは当りまへである。そこで考へなければならぬ。宇宙万有の神がそれを通して考へられ、それがわれわれのものとなるならいいが、宇宙をぬかして神を日本化しようとなると間違ひがある。
 一例を挙げれば、天の御中主命がエホバの神と同じだといひ出したことがあった。死んだ石井十次氏の如きがやはりその思想を持ってゐた。徳川時代にもその傾向があった。たとへば、日本に於ける農政学の泰斗佐藤信淵、或は平田篤胤の如きがさうであった。渡辺華山は耶蘇伝を書いてゐる。それは勿諭幕府の忌憚にふれて、彼は自殺したが。それにしても三河田原藩は一番進んでゐたと思ふ。彼等は報民倉といふ社会事業を始めた。その日本化したキリスト教が、佐藤信淵の古祗神道となり、それが最近の『神ながらの道』となった。この『神ながらの道』は、キリスト教であるべきところのものが歪曲されてしまって、妥協的な態度に出たことを私は悲しむものである。
 天の御中主命はキリスト教から来たに違ひないと思ふが、宇宙のみいつからきた神が隠れてゐる。さうなるなら、キリストのあらはした十字架の信仰が隠れてしまふ。あまりに支那化したキリスト教の間違ひがそこにあった。或る人々は、それは洪秀全が悪いのでなく、宣教師が悪いのだといふ。洪秀全キリスト教マホメット教と同じである。松村介石の『道』の如きは十字架のないキリスト教である。天理教では最近教師の数が倍になったが、これは宇宙の神を日本化しようという焦慮からきてゐる。これらに対して、我々ははっきりした判断をとりたいものである。

  階級化した信仰

 支那洪秀全の運動は、あまりに妥協した道であったが、次の問題は信仰の階級化である。これは間違ひである。俗人と然らざるもの、牧師と然らざるものといふやうに、信仰に階段をつけることは誤りである。ルーテルが最も力を与へたものは信仰の民衆化であった。キリストは最も信仰を民衆化した人であった。キリストの教へは赤ん坊にも判るものであった。洪秀金にはそれがなかった。キリストは花嫁のきた時の花婿の態度のやうに明るい宗教を説いた。だが、支那キリスト教の歪曲されたものは、支那化を本領としたために、儒教のやうになってしまった。儒教は信仰に階段をつけてゐる。苦難を喜んで、大乗的気持で、神の胸にすがるといふ点が少い。些細な点で信仰に区別をつける。これはほんとの意味のキリスト教ではない。ほんとのキリスト教は花婿の気持である。つまり、中世紀のキリスト教の、フランシスや、協同生活をした兄弟団のやうな民衆化したものでなく、法王のやうなものであった。これは嘆かはしい点である。十誡キリスト教に止まってゐて、まだ十字架がわからない。ごく幼稚な倫理宗教であって、ほんとのキリスト教がわかってゐない。それだけ知ってゐれば、すぐに洗礼を授け、政府から命令をうけたものが司式をして、祝祷の代りに、神より遣はされた太平天国のつくり主万歳といはせた。終りは全然キリスト教でない。
 十字架といふものを非常にいやがる時期がある。血なまぐさいとか、判らないとか云って、十字架のわからない時がある。従って聖霊がわからない。また聖霊のわからない人に十字架のわかる筈はない。聖霊と十字架とは裏表になってゐる。無限の神の血がわからなければ聖霊は判らない。従って、宇宙全体の神の気持になって、宇宙のために働かうといふ気持になれない。これらがばらばらになって、意識キリスト教が分解すると、教義キリスト教になる。すると、形式宗教、公式宗教になる。民衆は無意識だが、かうかうせよといって引張る洪秀金の運動は無到矢理にキリスト教を強ひたのである。無理をして運動すると。さうなる。長くかかって、ゆっくりやらうといふのでなければ駄目だ。愛が中心になり、団結本位で行きたいものである。公式によって導いてはいけない。自分がキリスト教だから人にも『聖書』を読ますといふのでなく、愛の行動によって解らせることが必要である。
 今の神学者にもこの点が解らない。彼等のは公式キリスト教である。『げに信仰と希望と愛と、この三つのものは限りなく残らん、而してそのうち最も大なるは愛なり』といふ意味が解ってゐない。

  強制と純潔の無視

 また彼等には強制があった。支那では学問のある人は少く、広東のやうな処でも、十九人に一人しか字の読める人がないほどである。馮玉祥も何万人かの部下を強制した。日本のキリスト教は今足ぶみしてゐるといはれてゐるが、それでも構はない。我々は決して無理をしてはならない。修養団では、伊勢神宮遙拝、皇室遥拝、国旗最敬礼をしてゐるが、三年前まではさういふことがなかった。さういふことを無理強ひすると悪化しはせぬかと思ふ。洪秀全太平天国をつくって、家来に信仰を押しつけたことは間違ってゐる。殊に政治と宗教を混同したことは間違ってゐる。政治は秩序を中心とするものである。が、人間には秩序を破って或る目的のために進まうといふ希望がある。だから無理をせず、凡ての人を尊敬してかからなければならぬ。
 私は、キリスト運動が、強制を教へると、ほんとの宗教運動にならぬと思ふ。ドイツのキリスト教が生長しないのは国教だからで、そのために成功しないのだと私は思ふ。イギリスの国教も発達せず、寧ろスコットランドの方に真のキリスト教徒が多い。ロシアがキリスト教を国教としてゐなかったら、あれほどに反宗教運動は起らなかったと思ふ。
 次に考へなければならないことは。個人の純潔を無視した点である。太平天国運動が反抗運動に始まり、形式的になり、遂に反革命運動のために滅びてしまったが、洪秀全が三十何人かの妾を持ってゐたといふところに、支那としてはあたりまへかも知れないが、そこに誤謬がある。日本の共産運動がやはりさうである。個人の純潔を重んじないところに、共産運動失敗の原因がある。
 五本の指を例にとって考へても、連絡をとることが愛の運動であり、それを組織化してゆくのが組合運動である。コリント前書十二章で、われわれは組合運動の理論を教へられてゐる。それを怠ってゐるから失敗するのである。われわれは、個人の純潔と社会の純潔とを同じくらゐ重んじなければならぬ。太平天国運動が、あんなぶざまな終末を遂げたことは、今更ながら嘆かはしいことである。
 彼等はまた、非常に排他的であった。自分の信ずるほかは全部を殺してしまった。思想運動は思想運動にすればよいのに、自分に反対するものは皆殺しにした。それが既に敗北の原囚であった。キリスト教の愛の運動に誰が反対しよう。公式キリスト教には反対するが、愛には反対出来ない。そこに愛の勝利がある。キリスト運動は絶対的に愛の勝利だといふことを考へたい。日本の神の国運動は今年で終りだと考へられてゐるが、神の国運動は終ってゐるのではない。日本を全部キリストの愛によって包まなければ、キリスト運動は止められない。ただ、太平天国のやうな突飛なやり方でやるか、十字架をはっきりさせて、ゆっくりやるかである。
 十字架の運動をもう一度われわれは反省しよう。公式宗教の中にゐる人は、この際転向しなければならぬ。十字架宗教は永遠の転向を要求してゐる。神についての意識を受けてゐないなら、もう一度聖霊を受ける必要がある。まづわれわれは自らを反省しなければならぬ。『読売』の社説欄に、クリスチャンの反省を促した文章が載ってゐたが、それだけわれわれクリスチャンは眠ってゐることになる。眠ってゐることは十字架を負ってゐないことを意味する。公式キリスト教ではなく、愛のキリスト教が村々に徹底しなければならぬ。そのためにわれわれは励む必要がある。その道は遅いけれども必ず勝利を約束されてゐる。クリスチャンの一人一人が、十字架の道を歩むことを私は望んでやまない。