予言者エレミヤ1

  預言者エレミヤ

   序

預言者エレミヤ』は出来るだけ平易に、日曜学校の尋常科の終りの方のかたがたにわかる位の程度で書いた積であります。然し、私は大人の信者諸君にも是非読んで戴きたいのであります。
 旧約聖書のエレミヤ記をお読みになったかたは御存知でしやうがエレミヤ記は切れ切れの入り込んだそれはく面倒臭い本であります。エレミヤのしたこと、また考へたことが少しも年代を追ふて居りませんので、私はほんとに困りました。私はそれを長い間、西洋の色々な本を参考したり、自分手に考へたりして、やっとのことでこんなものに約(まと)めました。聖書に載っている預言は一つも略してありません、色々と工夫して皆入れて置きました。
 また挿絵でありますが、今度は私のお友達の長尾さんに書いて戴きました。長尾さんは唯今東京の青年画家の中で評判になっているお方です。然し下絵は皆私が、或ものは『埃及発掘会報告書』から、或ものは、フェノロッサの『東洋美術史』から、或ものは『歴史家の歴史』から集めて来ました。
 エレミヤ自身のことに就ては、私はまた特別の同情を持って居ります。私は小さい時から涙脆い方で、十五の時から説教し、いつでも辛い時にはエレミヤを思ひ出して慰めて居りました。その後神の御用に一生を捧げた時にもエレミヤを思ひ乍ら東京へ上りました。今日でも毎晩の路傍説教に殆どエレミヤを忘れたことはありません。迫害せられた時、風の吹く晩、いやな時、世の人間が福音に無頓着な時、私はいつもエレミヤを思ひ出します。
 そしてエレミヤの涙は私の涙でした。それで私は此本の表題を『涙の歴史』としやうかと思った位でした。
 未だ世界は改心いたしません。それで私はこの本をお読みになる皆様に註文があります。どうぞ 皆様も一人ひとりエレミヤとなって、世界の罪を涙で洗ひ流すまで、基督の為めに御奮闘して戴きたいのであります。