農民福音学校が1927年2月開講

今度私の家で農民福音学校と云ふのが開かれる。之は農民伝道の中核を為すものであって、農村の青年であって、宗教的に農村を改造せんとする者に開かれるものである。一ケ月間私共と一緒に寝起きして宗教的に社会的に訓練を受けるのである。校長は杉山元次郎氏、教務主任は吉田源次郎氏、私は毎朝一時間位づゝ授業を受持ちたいと思ってゐる。課目はキリスト教の一般と、農村社会学と農業科学に関するものである。即ち旧約の精神、新約の精神、キリスト伝、教会歴史、農村社会学、農村通論、農家経営法、農村社会事業等に就いてゞある。今の処では食費を半分だけ学校の力で持つことにしてゐる。併し、定員があって十人以上採れない。純農村に於て農業に従事しつゝ農村の伝道、農村の改造に志すものゝみ入学の資格を持ってゐる。開校は二月十一日で、閉校三月十日である。間合は兵庫県武庫郡瓦木村宇高木、賀川豊彦方農民福音学校宛にせられたい。(雲の柱から)

△二月になって、私は一晩も休まずに働いた。紀元節の日に農民福音学校を開いてから、約十名許りの兄弟が、全国から集って来られて家は急に賑やかになった。杉山元治郎兄、吉田源治郎兄、村島帰之兄などが専門に掛られて今日まで実に有益なコースが与えられた。生徒十人に先生三十人と云ふ面白い学校だものだから、非常に愉快な日を送った。満一ケ月の間ではあるけれども、非常に意味の深い一ケ月であることを思はないでは居れない。少し金はかゝるけれども、このメソードが農村伝道に最も適してゐるやうに、私は思へてならない。

 △兵庫県武庫川のほとりに建てられた農民福音学校寄宿舎「一麦寮」が出来上りました。これは私の北米に於ける講演旅行の時貰った謝礼金を基礎にし、その上に米国の青年達が拠金してくれた約七百弗の金を入れて作ったものです。諸君が利用して下さるなら幸ひです。三十人位は泊まれるやうにしておきます。関西学院及び神戸女学院に行く西宮北口の傍にあるのですから非常に便利です。裏にはすぐ大きな森があります。瞑想に適します。(昭和七年一月号「放浪の旅より」)

 △最近最も嬉しかったことの一つは、武蔵野で農民福音学校の卵が生れたことである。それも徳富蘆花氏の住んでゐた千歳村の上祖師ヶ谷で、三十人位の農民諸君が、お宮の下に集まって、八畳敷の小さい部屋を教室にして、藤崎氏と私の講義を聴いたことであった。これから一箇月に何回か、かうした研究会の様式のものを続けたいと考へてゐる。上祖師ヶ谷は窮乏のどん底にあって、まだ活路を開いてゐない。それで、私達は、力を入れて、この人達に農民福音学校を作ってあげたいと思ってゐる。幸ひ、三月中頃には松沢幼稚園の本校舎も出来上るので、その校舎を使って小さい農民福音学校をも続けてゆくことが出来ると思ってゐる。(昭和七年三月号「武庫川のほとりより」)