涙の二等分
賀川豊彦は1919年に「涙の二等分」という詩集を発表した。伝道のため神戸市葺合新川の貧民窟に入ってまもなく、「貰い子殺し」という“商売”があったことを知り、なにより悲しんだ。「貰い子殺し」というのは貧困や何かの理由があって育てられなくなった不義の子どもを5円とか10円でもらって来て飢え死にさせる“商売”である。当時はそんな商売が貧民窟にあったのである。
当時であってもそんな“商売”は犯罪であったが、産まれたばかりの子どもの「間引き」がまだまだ社会の必要悪として横行していた。
若き賀川はある時、警察署で貰い子殺し容疑で検挙された産婆が連れていた乳飲み子をもらってきて育てようとした。この子が手に小さな石を握っていたことから「おいし」を名付けたが、長生きはできなかった。まもなく賀川の腕の中で死んでしまうのである。
賀川豊彦の一途さの一断面を理解していただくために、その一部を掲載したい。というもの賀川の膨大な著作はふしぎなことにすべて絶版となって古本屋でしか求めることができなくなっているからである。
涙の二等分
おいしが泣いて目が醒めて
お襁褓を更えて乳溶いて
椅子にもたれて涙くる
男に飽いて女になって
お石を拾ふて今夜で三晩夜昼なしに働いて
一時ねるとおいしが起こす
………… 略 …………
え、え、おいしも可哀想じゃが私も可哀想じゃ 力もないに
こんなものを助けなくちゃならぬと教えられた私
私も可哀想じゃね
………… 略 …………
あ?おいしが唖になった
泣かなくなった
眼があかぬ死んだのじゃ
おい、おい、未だ死ぬのは早いぜ
南京虫が──脛噛んだ──あ痒い!
おい、おいし!
おきんか?
自分のためばかりじゃなくて
ちっと私のためにも泣いてくれんか?
泣けない?
よし………
泣かしてやらう!
お石を抱いてキッスして、
顔と顔とを打合せ
私の眼から涙汲み
おいしの眼になすくって………
あれ、おいしも泣いてゐるよ
あれ神様
あれ、おいしも泣いてゐます!
歌人与謝野晶子は、この詩集に序文を寄せて「賀川さんのみづみづしい生一本な命は最も旺盛にこの詩集に溢れています」「現実に対する不満と、それを改造しようとするヒュマニテの精神とは、この詩集の随所に溢れていますが、私は其等のものを説教として出さずに芸術として出された賀川さんの素質と教養とを特になつかしく感じます」などと書いて絶賛したそうだ。