鼎談 下中弥三郎と世界連邦運動(3)

 パグウォッシュ会議と下中

 田中 下中先生の原子爆弾あるいは水素爆弾に対する反対態度について、もう一つ、七人委員会と併行して残した仕事は、昭和三十二年にカナダのバグウォッシュという町で第一回バグウォッシュ会議が開かれる。

  最初は主としてノーベル賞受賞者の集まり。

 田中 そうです。それに湯川さんと朝永さんが出席するということで、下中先生が強く支持しまして、バグウォッシュ会議を成功させるために、ぜひ行って下さい。日本の立場をはっきりさせ、科学者としてのお二人の発言もしっかりやってくれというんで、金一封を御寄付されたんです。

  出張旅費をね。

 田中 ええ。その時、有名なバグウォッシュ会議宣言が発表されるんですが、その中に、日本の下中弥三郎がこの会議のために支援したということが謂われているんです。それ以後下中先生は、科学者と核兵器の問題について深い関心をお持ちになった。

  バグウォッシュ・コンフェレンスは科学者の集まりで科学は政治に関係ないはずですけれども、やはりある国の科学者であるという立場がどうしても関係しまして、原子兵器は実は戦争の抑止力であるという「核の抑止力」という、非常な強い意見があったんですよ。

 田中 そうらしいですね。

  やっと最近になって、抑止力という考えが間違いだったという考えに到達したんです。

 田中 つい最近じやありませんか、それは。

  ごく最近です。

 田中 朝永先生に一昨年私どもの世界運邦の会議でご講演いただいたんですが、核兵器は戦争の抑止力じゃないんだと。

  抑正力じゃなくて、かえって先鋭化していくものであるという実例を示して、ほんとのバグウォッシュとはちょっと外れているけれども、日本で開いたバグウォッシュ会議の分科会みたいなもので、やっとみんな承認した。

 田中 いわゆる京都会議ですね。

  そうです。

 尾崎 そうすると、七人委員会のかねてからの訴えがやっと認められたわけですね。

 田中 それから、私、下中先生のこの歌が非常に好きなんですけど。アメリカがビキニの水素爆弾実験をやりましたね。日本の漁船が被害を受けて、久保山愛吉さんが亡くなりました。あのときに先生が「憎々しビキニの灰の灰かぐら神怒りかも神はかりかも」という歌をつくられたんです。この歌は実に下中式なんですね。というのは、ビキニの灰は神の怒りであると同時に神のはかりごとなんだ。つまり、これで一挙に世界連邦ができるんだ、ヒロシマ原爆の数十倍もの威力をもつ水素爆弾が出現したことによって、人類はその恐怖から逃れるため、急速に世界連邦的な方向に行くであろう。そういう意味で、神はかりであると謳ったと思うんです。
 それから、先生は大西郷の研究家であると同時に、維新の大変な研究家で『維新を語る』という名著も出ておりますが、明治維新で幕府が倒れ新政府ができて日本が統一される。六十余州に分れていた日本が一つの統一された国家に形成されていく。同じように、無政府状態で百余国がそれぞれ軍備を持ち主権を誇示して相対立しておるこの世界が、廃藩置県が行なわれて一つの連邦体、共同体へ行くんだというように先生の世界連邦論は、つねに明治維新が引き合いに出される。つまり、明治維新を鑑にしながら世界連邦運動を進めて来られた。そういう点が下中式で非常に面白いと思います。
 それと先生の思想の根底には、アジア主義農本主義という考え方、もっと詰めていえば、常に弱き者の味方であった。戦前大アジア主義を唱えたのも、アングロサクソンという幕府を倒して、アジアの独立を達成させるということですね。そして戦後続々独立が達成されたとき先生はこう言いました。田中君、政治的には独立したけれども、経済的には半独立で、人民の多くは餓死線上にある。これを救わねば真の独立達成とはいい難い。アジア、アフリカの真の独立なくして、世界連邦はあり得ない。つまり今日言う南北問題ですね。それを早くも下中先生は世界連邦論の中で言っております。先生の世界連邦のお考えの中には、常にアジア・アフリカ、あるいは新しく生まれてきた発展途上国の経済的な水準をいかにして高めていくか、いかにして北側の生活水準の方向へ引き上げていくか、ということが、一つの命題としてあったと私は思っています。(続)
 「下中弥三郎を語る−その人と思想」(発行者:パール・下中記念館、1978年10月3日)から