徳冨蘆花と賀川豊彦 1/15

 新宿から京王線に乗り二○分、上北沢駅を下車して五分のところに、賀川豊彦記念松沢資料館はある。上北沢からさらに二駅先の芦花公園から一〇分ほど歩くと、そこには緑豊かな蘆花恒春園がある。明治四○(一九○七)年、徳冨蘆花(健次郎)(明治元[一八六八]年〜昭和二[一九二七]年)夫妻は当時府下北多摩郡千歳村粕谷と呼ばれたこの不便な農村地帯に移り住み、「美的百姓」をしながら作家活動を営んだ所である。蘆花四○歳のときであった。

他方、賀川豊彦(明治二一[一八八八]年〜昭和三五[一九六〇]年)は、大正一二(一九二三)年九月一日に発生した関東大震災の被災者救援のために翌二日、山城丸で横浜港に上陸、東京市本所区松倉町にテントを張り、仲間らとともに本格的に救援活動を開始した。一〇月には家族も上京、当初本所松倉町に住んだが、翌年四月、東京市外松沢村に移住した。森のなかには粗末な小屋があり、その後、手作りの小屋を建て増しながらここに住み(賀川はこれを「アンペラ御殿」と呼んだ)、賀川の新たな活動拠点となった。引越しに際して、三月一六日、賀川豊彦・ハル夫妻は千歳村に蘆花を訪ねている。両家は約二キロの近い距離にあり、この後、両者の間には親しい交流がさらに深められてゆくことになる。因みに、賀川豊彦の長女冨澤千代子さんは、松沢村への移住のきっかけについてつぎのように述べていられる―

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