賀川3回目の渡米「三万五千哩の旅行」

 豊彦は「3回目の渡米」に向けて1931(昭和6)年7月7日、平安丸で横浜を出帆した。バンクーバーに7月20日着。シアトル、カナダトロント、ニューヨーク、8月4〜9日The General World’s Conference,YMCA、Cleveland、シカゴ、オグデン、サンフランシスコ、ロサンジェルスバークレー、ニューヨーク、帰路リンカーン号で11月12日横浜着。(以上は「人物書誌大系37・賀川豊彦?」の「年譜」610〜612頁にある詳細な講演日程から拾い出した略記。)
 今回紹介する賀川の絵葉書は、消印も差出年月日も不明であるが、賀川の文面にある「十一月十二日には日本に帰ります」から推測し、上記「11月12日横浜着」に符合するところから、「3回目の渡米」の旅先から、神戸の武内に送られたことが判明する。
 ところで横山春一「賀川豊彦伝」(警醒社版)巻末年表には「7月10日 カナダのトロントに開かれし世界YMCA大会の招聘に応じ、日本代表として第3回目の渡米す 随行者小川清澄、村島帰之、11月12日帰朝」(586頁)とある。帰国の日付は同一である。
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 絵葉書の写真( Bowles Hall.U.of C.,Berkeley,Calif) からして、1931(昭和6)年「8月29日の晩、バークレーに到着」(同書)とあるので、そこからのものではないか。(上記「大系の年譜」には8月31日〜9月3日Berkeleyとある)
 あて先は 神戸市吾妻通5丁目 イエス団 武内勝兄 

三万五千哩の旅行に出て
疲れました。十一月十二日には
日本へ帰ります。すると
すぐ大阪神戸へ行きます。
主にありて祈りつつ
貴兄の御事業の栄えんことを
 賀川豊彦

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 前掲横山「賀川豊彦伝」には、「第11章 北アメリカ伝道」という独立の章がたてられ、この絵葉書で賀川が「三万五千哩の旅行に出て疲れました」と洩らす4ヶ月間に及ぶ旅の模様が綴られている。(302頁〜314頁)
 これの基礎資料となったものは、随行した村島帰之両氏の「アメリカ巡礼」という日記や小川清澄氏のものほか、豊彦自身が書き残した「雲の柱」への活動記録(賀川全集第24巻所収)のようであるが、この旅ではジョン・R・モット、ハンター、石川栄、深田種嗣、徳憲義などとも出会い、帰路は今井よねも一緒であった。
 以下、「身辺雑記」(全集24:134〜135頁)から、旅の出発と帰国のときのものを、一部分取り出しておく。

 乗船に際して
 3年間も日本中をめぐりめぐって居りましたので、アメリカに旅立つといってもその気にならず、何の準備もしませんでした。ラスキンの「ヴェニスの石」を旅立つ前の日まで読み続けていた次第です。(中略)
 ラスキンが「真の芸術家を見るなら、わざとらしい技巧などは見られない。わざとらしい純真でない芸術を研究しても駄目だ。赤ん坊のやうな心にならなければならぬ」といっていることを今更の如く感じるものであります。我々みずから何も持っていません。もし我々に何かあるとするなら、それは神につける赤ん坊の精神であります。私はアメリカに行ってもありの儘の生活をしようと思っています。他人が英雄崇拝的に私を見ようと、また悪口を言おうと、私はありのままの、神に救われた、神に恵まれた生活をそのままいきたいと思っています。(以下略)
1931・7・10 平安丸にて渡米の日、横浜埠頭待合室にて)

 上陸の挨拶
 私は、こんどの旅では、アメリカが不景気だから、金をくれないでいい、私が金を貰うと、あなた方が自慢するから貰わぬ。金の代わりに魂をくれといって廻りました。(中略)
 何といっても私はこんどの旅では非常に弱りました。つかまえたら離さないのだからやりきれません。御馳走を食べさせておいては1時間位演説さして、拍手してはぱっと散る。飯を食べさせては演説させられるんですからたまりません。実にひどい目に遭いました。・・ですから私は、帰りの船の中ではずっと寝ていました。本も原稿も読む気がせずぐったりして寝ていました。
 私は日本へ帰ったら一番さきに何が食べたいかと尋ねましたら、小川先生は「おでんのこんにゃく」を食べたいといい、村島先生も「おでんを食べたい」といっていました。私は何より鰹節で茶漬けを食いたいと思います。私はアメリカでずっと菜食で通してきました、腎臓のためには菜食がいいそうです。
 向うでは非常に愉快な友達が沢山出来ました。お話したいことが沢山ありますが、海があれたために一昨日朝食を食べただけで、今日はひょろひよろですから、これで許して頂きたいと思います。(1931・11・12 横浜YMCAにて)

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賀川豊彦写真集」47頁に、帰路、リンカーン号船上での写真が収められている。写真説明には、「右端小川清澄」氏とある。(2009年7月18日記す。鳥飼慶陽)