「幼な児の如くに」を賀川の肉声で聞く

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 1958(昭和33)年8月6日 賀川豊彦70歳
 青山学院で開催の第十四回世界基督教教育大会開会式でのメッセージ。

 我々は古き時代の文明にもう疲れてしまいました。
 イエス・キリストは「人もし新に生れずば、神の国に入ること能わず」と云われました。イエスは子供が好きであつたんです。イエスは何回も「子供のようにならなければ、天国に入れない」と云われました。だから私のような者、又指定席のあなたのような者はもう一遍生れ変る必要があるのです。私はイエスの云われたことは本当だと思うのです。
 イエス・キリストは「天の父」ということを云われました。この天の父と云うことの信仰は、簡単な信仰で、無限とも云わず、絶対とも云わず、いろんな哲学的な言葉も使わずに、天の父と云われたのです。もう一度私共は89イエスの云われた赤ん坊の宗教に帰つて行く必要があると思うのです。
 イエスは子供等が来ることをとめた弟子達を、叱りつけなすつて、「子供等を我に来らせよ」と云われました。けれども我々の今の社会制度は子供にはあまりいい時代ではありません。即ち戦争はあるし、悪い不道徳の部分はあるし、階級制度はあるし、とにかく悪い時代です。私はもう一遍赤ん坊から出直したいんです。私はこのローマ時代のような悪い時代に、イエス・キリストのような飛びきり革命的な赤ん坊の時代を作れと云われたことは不思議で不思議でたまらないんです。私は東京でももう一遍出直しが必要だと思うんです、これはもうロンドンやニューヨークも、ベルリンもどこもかも皆同じです。もう一遍赤ん坊になるんです。裸で歩けます、そして美しいし、日本の娘達がいい着物を着ていても、けれども実際あれはボロです。
 私は要するに、もう一遍赤ん坊の文明が来たらと思うのです。戦争も無いし、虚飾もないし、人のどういう人種が来ても、どういう色の人が来ても、親切にしてくれる人は喜んでついて行きます。赤ん坊はいつでもじつとしていません、もういつでもこう動いております。それを文明にたとえると発明や発見の時代なんです。もう少し人間が成長し、人間が発明し、国境を越えて、皆んな全世界の人が助くる、いい世界をつくつたらいい時代と思うんですがネ。私はおかしくつてしかたがないのは、地球つて、たつた直径が八千哩しか無いんでしよ、そんな中に九十くらいの国を作つて、それで喧嘩ばかりしておる、こういう時代をもう一遍、イエス・キリストのような気持ちに作り変えて、赤ん坊になるんですね、もう一遍。
 まあ第一に赤ん坊は夏は着物を着ませんですよ。うちの子供等は裸で走り廻つているんです。あなたらにそう云つたら怒るでしようけども、実際はこんな着物は、…着物なんか着ないのが一番いいんです。私はアダム、エバはこんな着物は着るとは思わんです。
 私はもう一遍イエス・キリストのような無邪気な時代を作つてほしいと思うんです。この時代が生まれ変わつたならば、いい時代が来ると思うんです。それで私はその時代がだんだん来るんぢやあなくつて、イエス・キリストが云うように、天から来なければならないと思うのです。私は世界各国の友達が大勢来たけれども、その愛する兄弟姉妹達の刺激によつて、日本が生れ変つて、日本が今度は神の福音を世界に拡めるように、神の国の一番聖い処の一部になりたいと思うのです。
 私は先程大勢の兄弟姉妹達が並んでいるのを見て、まあ何という沢山の人が来たんだろう。キリストがなかつたらあんな光景は見られないんです。しかし、なおいいことは、我等がもう一遍、イエス・キリストが云われた、赤ん坊の時代に帰ることなんです。
 いろんなロケツトを作つたり、原子爆弾作つたり、軍艦作つたり、空爆の飛行機を作らないで、もう一遍赤ん坊の時代を作りましよう。
 世界各国から来て下すつた方、お礼を申します。しかし日本からも一つ贈物があります。それは「赤ん坊になりましよう」と云う言葉です。

賀川豊彦全集24巻より引用) 印刷:賀川豊彦記念 松沢資料館