ハルの新たな発見−その生活と思想 三原容子

 正直に言おう。私はこの史料集の編集作業をするまで、賀川ハルについては単行本でしか読んだことがなかった。大正期の『貧民窟物語』、『女中奉公と女工生活』と、戦後まもなくの『太陽地に落ちず』『月汝を害はず』である。その頃はまだ、ハルを世界的に有名な賀川豊彦の同伴者としてみていて、一人前の人物扱いをしていなかった。それだけではない。戦後の書は夫が書いたものを妻の名前で出版していたのではないかとさえ疑っていた。
 日記や原稿類の判読作業を進め、さまざまな雑誌・新聞に掲載された著作を読んでいるうちに、私はハルさんに(史料を読んでいるうちに、私にとって、「さん」づけに相応しい人になった)、誤解を詫びずにはいられなくなった。
 女中奉公や女工をしていたハルさんは、満25歳の5月に賀川豊彦氏と結婚した。そこから、同居する病人の世話をしたり酔漢の相手をしたりする、『貧民窟物語』に書かれたような生活が始まった。それは同時に、キリスト教や数学の勉強、見知らぬ来訪者の悩みごと相談、事業資金のやりくりなど、当時の女性の多くが経験しなかった生活の始まりでもあった。3人の子どもを授かって、子育てを経験するチャンスにも恵まれた。
 もともと知的好奇心が旺盛で、体力もあり、誠心誠意ことに当たっていくタイプのハルさんは、悩みながら、祈りながら、ぐんぐん成長していく。「内助の功」を越えて、演説し、執筆し、事業を経営する人となっていくのである。
 編集家庭でハルさんの生活や思いを知ることによって、戦後に書かれた書も本人の筆によることを確認できた。加えて、191年代以降の女性運動史、生活史、社会事業史等々に関わる貴重な第一次史料であることも痛感した。広い領域の方々にお役に立てるだろうことを信じている。(みはら・ようこ=東北公益文科大学教授)