『賀川ハル史料集』の示すもの 瀬戸内寂聴

 賀川豊彦の名を知らぬものは、私の世代にはなかった。神戸に生まれたが、良心が徳島の人だったので幼い時、両親を亡くし、徳島の親類に引きとられて、徳島で育った。
 私の学生時代は、徳島では貧民の救済に尽くす聖者のように尊敬されていた。同郷の大先輩として、私は少年の頃から賀川豊彦の存在を誇りに思って育った。
 賀川豊彦の小説『死線を越えて』はベストセラーになり、その印税は貧民救済にあてがわれているなどという話にも感動していた。
 生協の創始者であり、キリスト新聞の発行者であり、労働運動、反戦運動に身を尽くした大人物であった賀川豊彦の業績は実に幅広く精力的であった。
 この人物とを支え続けた妻がハルである。
 ハルは夫の思想に共鳴し、夫と共にスラム街に暮らして、貧しい人々の心の灯となって慕われていた。
 夫と共にトラコーマに感染して、視力を片方失うような経験にもめげていない。
 夫が自由に働けるよう、家庭をしっかりと守り、いつでも夫の思想に遅れまいと自身の研鑽をおこたっていない。
 夫に盲従する良妻賢母という従来の女の美徳を備えた女性ではなく、夫の思想を理解し、その生き方に積極的に歩調を合わせて、世の中の不合理や強権支配に反抗し、戦っていくという新しい婦人であった。
 「覚醒婦人協会」を創設したりしたことも、夫の思想に遅れまいとする彼女の真情から出たものだろう。
 社会運動の先頭に立つことは、当時、平塚らいてうなどの始めた「青踏」の運動とも無関係ではなかった。
 賀川豊彦の偉大さの影に隠れて、これまであまりハルの存在に光があてられなかった。
 この度、ハルの書き残した日記や、運動のため書き残した文章の数々が、集められ、全3巻にもわたる『賀川ハル史料集』となって刊行されることは、まことに喜ばしいことである。
 これを機会に、ハルの純情で逞しい精神と、苛酷で聖なる生涯に、多くの若い女性たちが目覚めさせられ、ハルの研究をつづけてくれることを期待してやまない。(せとうち・じゃくちょう=作家)