ハルを知る殆ど完璧な史料集 加藤重

 キリスト教の伝道者であり、『死線を越えて』をはじめ多くの著述活動をし、救済事業、農民運動、協同組合運動、平和運動等の推進者である活動家の賀川豊彦。この偉大な存在の陰に、彼を終生支え続けた妻ハルのことを忘れてはならない。ハルという支えがなかったら、賀川の働きはこんなに大きくならなかっただろう。賀川豊彦の神戸のスラム街での常人では出来ないすさまじい生活をし、伝道、救済活動をハルと二人で行った。大正12年の関東大震災で為すすべもなくうろたえているとき、神戸から駆けつけた賀川は、知と行動で、すばやく大テントをはり、食糧を調達し、寝具等を手配して多くの人びとを助けた。神戸にいた妻ハルは。8カ月の子供を背負って、荷車を引いて一軒一軒家を回って、蒲団等を集めて船で東京に送っている。
 病弱な賀川が多くの事業をなし遂げることが出来たのは、よき看護婦であり、名会計係の妻ハルがいたからである。賀川が行く先々で寄附を頼まれる。賀川はそれを拒むことなく引き受けて、寄付金をハルに頼む。ハルは金の工面をして夫の心に従った。賀川はハルのことを、「決済の大蔵大臣」と言っていたが、ハルは毎回大変なお金のやりくりをしなければならなかった。ハルは不平一つ言わず、これをやりとげた。
 ハル自身『貧民窟物語』『女中奉公と女工生活』のほか多くの著作がある。また、こまめに日記を書き、金銭出納簿に几帳面に記している。
 ハルは3人の子供を育てながら、依頼された文を書き講演もした。晩年は渡米して精力的に各地を回り講演をしている。ハルは昭和57(1982)年5月に94歳で永眠した。
 ハルの講演、原稿の草稿等は大変多く残されている。ハルの足跡をたどるのにはこの史料集が非常に大切な役割をしている。この史料集は殆ど完璧なものと思われる。賀川ハルの研究をするには、この史料集が最も適切なものとして推薦する。(かとう・しげ=『わが妻恋し−賀川豊彦の妻ハルの生涯』の著者)