小国清子牧師が豊島に賀川資料館を構想

 7月29日付山陽新聞第2社会面右肩に以下の記事が掲載された。地方紙としては、この1年、神戸新聞徳島新聞中日新聞岩手日報に賀川献身100年関連で記事が掲載されたが、それに続く地方紙掲載記事である。執筆した池本記者は編集委員で、豊島での賀川の活動を取材したことがきっかけとなって、賀川豊彦の全体像に迫ろうとしている。今後の山陽新聞に期待したい。(伴 武澄)

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 100年前に日本を覆っていた貧困に立ち向かい、世界的に「聖者」とたたえられた牧師・社会運動家賀川豊彦(1888〜1960年)が香川県土庄町豊島に残した足跡を後世に伝えようと、賀川から引き継いだ教会を守る女性牧師が、所有する民家を提供し、資料館開設の構想を温めている。
 結核を患っていた賀川は、知人から療養適地として豊島を紹介され、1939(昭和14)年にサナトリウムを建設した。太平洋戦争勃発後は豊島で事実上の軟禁生活を送った。
 戦後の47年に日本基督教団プロテスタント)が香川豊島教会を設立。現在の小国清子牧師(87)は58年、賀川から「豊島を頼みます」と言葉をかけられ、赴任したという。
 島内の神子ケ浜地区には、賀川が起居し、教会とサナトリウムが併設されていた「ウェスレー館」が残るが、激しく傷み、屋根や床が抜け落ちようとしている。賀川と同志は唐櫃(からと)地区に「農民福音学校・立体農業研究所」を開き、理想の農業を追求したが、今は跡地に記念碑が立つのみ。
 小国牧師は賀川ゆかりの場が時の流れに埋もれ、感化を受けた島民も減ってゆく状況に心を痛めていた。家浦地区にある現教会の隣に住む女性が島外の施設に入所し、居宅の買い取りを懇願されたのをきっかけに、賀川資料館としての活用を考え始めた。
 木造2階80平方?ほどの普通の民家だが、かつてのウェスレー館周辺の写真パネルなどを展示し、著書や書簡なども閲覧できるようにしたいという。
農民福音学校講師の子孫や卒業生、賀川が創設したイエス団(社会福祉・学校法人)関係者からの資料提供も望んでいる。
 賀川の孫のグラフィックデザイナー賀川督明さん(56)=山梨県都留市=は「豊島には教会のほかにイエス団の施設が3つもあり、『立体農業』を風化させまいという若者たちの動きもある。資料館ができれば大変意義深い」と話す。
 来年10月には、直島福武美術館財団が唐櫃地区に建設中の美術館が開館予定。小国牧師は「美術館を訪れる人にも豊彦先生の足跡を知ってもらいたい。何かを残しておかなければ分からなくなる」と話し、協力者を求めている。
(池本正人山陽新聞記者)