『乳と密の流るる郷』が届いた!!

 家の光協会からPR用見本として『乳と密の流るる郷』が共同通信社の職場に届いた。誰よりも早く関心の新刊本を手にすることが出来るのはこの職業の嬉しい瞬間だ。これは「書評を書け」という圧力でもあるから、喜んでばかりいられない。
 発行は8月末とされていたが、奥付には9月1日とあるから、書店に並ぶのはその後ということになる。野尻武敏神戸大学名誉教授が「解題」を書いており、復刊への並々ならぬ期待がうかがえる。(伴 武澄)

 その一部をThink Kagawaの読者に発刊に先駆けてお読みいただきたい。

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「乳と密の流れる血」−−これは旧約聖書出エジプト記やレヴィ書に何度も出てくる表現である。エジプトに囚われていたユダヤ人に神が約束したカナアン(今のイスラエル)の地を指したものであった。そこは、山羊や乳牛が遊ぶ緑の山野に蜜蜂の飛び交う花々が咲き誇る、美しく豊かな地だったのであろう。
 あれは1965年夏、私は滞在していたオーストリアからの帰りに“共産村”で知られるイスラエルの「キブツ」を訪ねたことがある。その際、ウィーンのイスラエル大使館でもらった参考資料には、大要、次のように記されていた。「イスラエルはもとは<乳と密の流れる血>だったが、3000年にわたる異邦人の支配と収奪で砂漠化してしまった。だが、19世紀半ばから、ユダヤ人たちが当時イギリス領だったこの地に土地を買い、緑にしていく入植運動が始まった」。だが、私がそこに見たのは、そこここでスプリンクラーが回ってはいたが、まだほとんどが岩と砂の荒れ地だった。緑化の先兵となる入植者たちが、多くは協同組合、若干が共産村でもって、農耕や酪農に従事し、「乳と密の流れる」国づくりに献身していた。
 賀川の小説『乳と密の流るる郷』は、むろんこれとは無関係だろう。けれども、その表現からしても、無縁とは言えまい。キリスト者にとって、これは約束の地の姿を示したものだからである。そして、この小説においても、「乳と密の流れる郷」は目差されるべき約束の郷となっている。(続)