分かち合い 再び脚光 【8月29日朝日新聞(大阪紙面)】

 分かち合い 再び脚光 「生協運動の父」賀川豊彦活動100年

 キリスト教の精神に基づいた社会運動家で、日本の生活協同組合(生協)運動の父とされる賀川豊彦(1888-1960)が、民衆を支える活動に身を投じ、今年で100年の節目になる。足跡を顧みる催しが開かれ、著作も相次ぎ復刻されている。格差社会の深い影にさいなまされ始めた今、賀川が唱えた「共生」への思いが、ほのかな輝きを放っている(木元健二)
 賀川が活動を始めて100周年の記念シンポジウムが今年7月、活動ゆかりの地・神戸で開かれた。
 賀川の孫でグラフィックデザイナーの督明さん(56)も参加して「賀川の活動を振り返って、未来に継承すべきキーワード。それは『分かち合う』という意味の『シェア』と述べた。そんな『シェア』の精神は阪神大震災に遭った神戸だからこそ発揮されうる、という願いを込めた。
 賀川は、15歳で洗礼を受けたクリスチャン。病弱な少年で、結核を患い、いつ死ぬかわからない、という中で信仰と出会い、人を尊ぶ心を育んだ。米国の大学で学んだ経験もある。1909年、21歳で神戸の貧しい人々の街に住み込んだのも、信仰の基盤があったからだ。
 賀川の活動で忘れられないのが、「一人は万人のために、万人は一人のために」の標語を掲げる生協の活動だ。原点は神戸市で活動していた1920年。灘購買組合と神戸購買組合の設立の指導である。
 消費者が少しずつ負担しあって商品を仕入れる仕組みをつくれば、暮らしは安定する。この考えに支えられ、今も生協の活動は活況だ。
 兵庫県内は「コープこうべ」をはじめ60%の世帯が生協の会員になり、全国では会員2500万人を抱える『日本生活協同組合連合会』(東京・渋谷)にひろがった。
 連合会の山下俊史会長は「スラムでの救貧活動に限界を感じて、持続可能な『防貧』活動として協同組合をすすめた。民の手によるセーフティーネットを築こうとした先駆者」と、賀川を評価する。
 この秋からも、神戸市や徳島市など、各地で100周年の記念イベントが開かれる。
 賀川はベストセラー作家でもあった。代表作『死線を越えて』は、日雇い労働などで暮らしをたてる人々を支え、きずなを結んでいく青年像が活写されている自伝的小説。1920年に発売され、上中下巻で計400万部売れたとされる。ただ、長らく読まれなくなっていた。
 それが今年4月、PHP研究所によって上巻が復刻された。
 賀川がスラム街で活動を続けていたころは、第一次世界大戦の戦時成り金が出現する一方で、貧困層の不満が募り、格差社会といわれる現代とも重なる。小林喜多二の「蟹工船」が注目されたのも、「死線を越えて」の復刻に弾みがついた。
 関連の出版も相次ぐ。
 6月に出版された「友愛の政治経済学(コープ出版)は、1930年代に賀川が米国で行った講演の邦訳。ロシア革命後の旧ソ連を「最も不満足な強制協同組合国家」と批判し、返す刀で「利己的な自由を持つだけでは幸福とは言い得ない」と資本主義の限界にも言及した。そのどちらでもない「第三の道」を、友愛という言葉で表した。
 反公害や反官僚主義を掲げたユーモア小説「空中征服 賀川豊彦大阪市長になる」(不二出版)も復刻され、この秋には劇画版「死線を越えて」が発売される予定だ。
 賀川の著作は300冊を超え「死線を越えて」は、今に換算すれば10億円とも言われる印税を稼ぎだした。しかし、本人の暮らしぶりはいたって質素。ごちそうは、きつねうどんだったという。著作からの収益は、ほぼ全額が多岐に渡る社会活動の資金になっていた。
 なぜ今、賀川豊彦なのか。
 賀川豊彦松沢資料館の杉浦秀典学芸員(44)は「経済問題だけでなく、地球温暖化や異常気象など環境の問題にも直面せざるをえなくなっている。これからはお金も、仕事も、環境も、分かち合いの精神でないと立ちゆかない、みんな、どこかで感じているからではないでしょうか」とみる。
 明日の見づらい世の中に、「友愛」や「共生」の心が染みていく。

 賀川豊彦ゆかりのイベント
 ◆9月6日 神戸市東灘区のコープこうべ生活文化センター。「友愛の政治経済学」の出版記念講演会。
 ◆10月10日 徳島市のあわぎんホール。講演会やシンポジウムなど。
 ◆10月18日 鹿児島市の県民交流センター。映画版「死線を越えて」の上映会。
 ◆11月28日 東京都千代田区の東商ホール。生協や全労災などによる講演会。
 ◆12月22日 神戸市のポートピアホール日野原重明さんら3人による語り合い。