安部磯雄が最初につくった同志社生協 

 同志社生協が大学生協の嚆矢であることを最近知った。1898年、社会主義者安部磯雄が教員時代に学生に呼びかけてつくったが、軌道に乗る前に1年足らずで倒産した。
 設立の歴史についてはほとんど残っていないが、安部磯雄自身が雑誌「家庭之友」1904年2月号にその経緯について書いている。「同志社生協設立50年発祥110年記念誌」に転載された文章を読むとなぜ当時生協が必要だったかがよく分かる。今では企業が価格を競い、品質を競う時代になっている。企業の悪質な商売に対する社会的制裁のシステムもそこそこ定着しているが、100年前は決してそうではなかった。今、生協に求められるものは何なのだろうか。考えたい。

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 消費組合の話 永遠の利益のために 安部磯雄

 日用品の供給を小売商人の手に仰がざるを得ぬ我々は、日々実に高い品物を買って居ります。中等社会の家計の中に、何が一番無駄かというなら、恐らく小売商人の手に渡す暴利ほど、馬鹿らしき費(ついひ)はあるまいと思います。質素の生活を営もうとする人は、まずこの無益の費から省かねばなりません。左に消費組合に就いて安部磯雄氏のお話を願いましたのは、この問題を実際的に解釈したいからでございます。
 消費組合は日本の社会にも是非発達させたいものだと、久しく希望しております。ある組織の下に始めたところ、よほど結果がよいそうで、他省から追々加入の申込があるかということが出ておりましたが、労働者仲間には先年から京浜の間に二つ三つ出来ているようでございます。
 英国ロッチデール(小都市の名)の消費組合というものは、最も模範的に発達していると思いますが、その成り立ちを聞いてみますと、初めわずか7、8人のむしろ資本などない人達が思い立って、20円ばかりの資金をつくり、仲間の中の一人の家を置き場にし、お互いに労力を出し合って始めたのでありましたが、追々加入者が殖えましたので、一つの小さな店を借り、例えば午後2時から5時までとかいうような時間に、店番が出ていて加入者が入り用のものを買いにくると、渡してやるのでございます。それは例えば初めの間は、日本なら米とか薪炭のようなものを、問屋から卸値段で買って来て、加入者に世間の小売同様の値で売るのです。そして3カ月に一度ほど利益を計算して、その中から店の費用全体を引き払い、残額を加入者の買い物額に割り当てて払いもどしてやるのです。つまり各々が団結して、商人に暴利を貪られないようにするのであります。それですから、始めの間は、あらゆる手段を以て競争や迫害をされたのでありますが、組合の団結力が強かったので、とうとうこれに打ち勝って、今では大したものになっております。次に下駄屋ができ、呉服店ができ、小間物店ができるというように、その範囲の大いなる拡張をなしたばかりでなく、消費組合が問屋もつくったり、ある製造工場も持つまでの勢いになったのです。消費組合の沢山ある中で、殊にロッチデールの組合の目覚ましき成功を見たわけは、買い物に一切現金制度をとったこと、純益を資本金のために出金した株主へばかりでなく、組合一般に公平に割り戻し実行したからであります。前に申したように競争や迫害がありますから、加入者の団結力が最も必要であります。
 私が西洋から帰って来て1年ばかりの後に、同志社でこの消費組合をやることを主張しました。すると何しろ学校側の2軒の商店が、学生相手に非常に暴利を貪っておりましたから、皆が賛成してたちどころに成り立ちました。そこで我々が3、4円ずつの金を出して、一通りの品物を用意し、学生3人を定めの時間の間、代わるがわる番をさせることにしました。初めは段々景気がよかったのでありますが、現金制度であったので、月末になって学生の懐が淋しくなると、掛売りをやる隣の店にやっていく。すると品物を安く売る、珈琲をご馳走する、まったく九死一生の場合だから、一生懸命学生の機嫌を取るのです。それで店番から現金制度を廃して、やはり掛売りをしなければ、到底前途の見込みがないと言ってきました。しかし掛売りをするというとなおまとまりが附かなくなりますし、書生の店番ですから店の雑用も、なかなか経済的にいかないのです。つまりこの組合は失敗に帰してしまいました。そして消費組合のあった間安売りをした商店が、組合の解散と同時に、いうまでもなく元の高売りに返ってしまった訳であります。
 今仮にここに消費組合を起こそうとしますなら、最初にまず前のように、薪炭醤油米塩ぐらいにしておいて、小さな家一軒をかり、店番を雇うことにし、加入者総体で月200円ぐらいの需要があるなら、成り立っていくだろうと思います。しかし仲間の中にただ目前安いものが買えるというだけの考えで、永遠の利害を思わぬ人がありますなら、組合と競争するために、従来の酒屋米屋が一時値段を安くして、掛売りとお世辞で毎日用聞きに来る(そのくせ組合が倒れるとまた高売りをはじめます)と、ついその方の買い手になって、組合の不利益を来たすのでありますから、加入者はすべての永遠の利益のために、組合の発展を熱心につとめなければなりません。(初出「家庭之友」1904年2月、この記事は「週刊平民新聞」にも転載された)