消費組合

安部磯雄が最初につくった同志社生協 

同志社生協が大学生協の嚆矢であることを最近知った。1898年、社会主義者、安部磯雄が教員時代に学生に呼びかけてつくったが、軌道に乗る前に1年足らずで倒産した。 設立の歴史についてはほとんど残っていないが、安部磯雄自身が雑誌「家庭之友」190…

醸成しつつある協同組合再評価の環境 日生協総会

日本生活協同組合連合会の年次総会が6月18日、品川のパシフィックホテルで開かれた。賀川豊彦献身100年とあって、会場のロビーには賀川豊彦パネルが展示され、書籍販売コーナーには復刻された『死線を越えて』『空中征服』『一粒の麦』に加えて、コー…

弔辞 日生協副会長・田中俊介

賀川豊彦先生は、日本の協同組合運動の生みの親、そだての親であったばかりでなく、アメリカはじめ、全世界にわたって協同組合思想の普及に挺身され、全世界協同組合運動者の尊敬と感謝の的になっております。 先生が協同組合にのりだされた直接の動機は大正…

1958年に寄せる 賀川豊彦

日本生活協同組合連合会がまだ日協連といわれていた時代、賀川は「生協運動」1958年1月号に「1958年に寄せる」と題して年頭所感を掲載した。以下その内容を紹介したい。 - 多難なる生活協同組合も、漸く労働組合が目覚めて職域組合が発展してきた。…

NAVI2月号に「生協の父 賀川豊彦」掲載

日本生活協同組合連合会の月刊誌「NAVI」2月号に「生協の父 賀川豊彦」が掲載掲載された。 http://blogs.yahoo.co.jp/heiwakyokai/28783887.html 1月24日、千葉大学で開催された「死線を越えて」上映会の感想ブログが早くも掲載されています。 雲の…

ロバート・オーエン再発見(2)

ロバート・オーエンは企業経営に関わる富の社会還元の手法を多く残した。地域通貨や労働組合などもそうだが、どうしても忘れられないのは協同組合的店舗経営だった。 協同組合は1844年代にマンチェスター郊外ののロッチデールで始まったものとばかり思っ…

ロバート・オーエン再発見(1)

6月初旬に一週間ほど南スコットランドを歩いた。グラスゴーの酒場で一人の日本人に出会い、ロバート・オーエンのことが話題になった。近郊にオーエンが繊維事業を始めた場所で、いまでは世界遺産に登録されているニューラナークという場所があることを知ら…