貰わなくてよかったノーベル平和賞

 週末たまたま「i君は名もなきイエスに頭を下げるや」というブログに出合った。「ノーベル平和賞より大きいか小さいか・・・・・賀川豊彦牧師 」という15日の書き込みに、賀川豊彦について「(ノーベル平和賞を受賞していれば)、後の人は貰うのに気が引ける人ばかりで、胸を張れるのはマザーテレサくらいでしょう」と書いてあった。そうだノーベル平和賞など貰わなくてよかったのだという思いに到った。
 このブログを少々引用したい。

賀川師の凄さは、新婚生活をスラム街「貧民窟」で始めた事、自分の住居に障害者や居候などと同居さした事、妻となったハル夫人がそれに逃げ出すこともなく、賀川師を助けたこと、スラム街の子供たちの眼病を治す為に活躍していた夫人が、眼病にかかり、右目が失明した事、その頃、賀川師の書いた、自伝的小説の死線を越えてが大ベストセラーになり、巨額の印税が入ったが、それもほとんど、貧しい人々を救うための事業や寄付に消えた、。

賀川師の著書「死線を越えて」は文学的にはさほどの価値はないかも知れないが「明治大学明治学院の間違い)の先輩である、島崎藤村に原稿を送り、見て貰ったがあまり、良い評価ではなかった」。神戸のスラム街に入って不幸な人達の為に一生を奉げるか、活動は程々にして、平凡だが静かな生活を美少女と過ごすべきか、苦悩して、ある日、決然としてイエスの道を歩むのは感動であり、絶賛してもし過ぎる事はない。スラム街は今も昔も、暴力団が支配する場所でそういう所で顔が変形する程の暴力を受けても非暴力を貫き、神の教えを説いた師は空説教ではなく、実行の人である。
死線を越えての中で 痴呆症で打ち捨てられた感じの乞食老婆を担いで、自宅に連れ帰り、食事や下の世話をした、明治時代に外国語が話せて、読めて理解出来る知識人はそう多くはない、そんな人が若い時から、衆人環視の中、汚い老婆の世話をするという事は驚異以外の何物でもない。

 その通りなのである。多くの人は『死線を越えて』を読むだけで賀川豊彦という人格に圧倒されるに違いない。貧しい人々に尽くした人はいる。貧困のために全財産を投げ打った人もいる。そう、暴力に屈しなかった人だっている。賀川豊彦は短い人生でこのすべてを行っただけでない。労働運動、協同組合運動、平和運動など現在のわれわれの平和で豊かな生活を築くために考え、多彩な行動を起こしてくれたのだ。
 賀川豊彦ノーベル平和賞などという秤(はかり)でははかれない人物なのだ。(伴 武澄)