世界国家1 国際平和の精神的基底(1947年1月号)
生存競争の哲学と国際平和
国際平和の機機に貢献する政治的、社会的、経済的条件は、根本的であらねばならぬことは、今更云うまでも無い。
然し。之等凡ての条件の基底とも云う可きものは。宇宙観の把握である。もし、生存競争の哲学が、宇宙の根本原理であり、優勝劣敗、弱肉強食が。生物界必然の根本原理でありとすれば、世界平和は永遠に期待出来難い机上の空想と化するのである。
この生存競争の必然性を階級的理論に組入れだのがマルクス主義であり、レーニン主義である。之を民族理論に取入れだのがヒツトラーであり、之を国家主義に採用したのがムツソリニであり、之を軍円主義に遮応せしめたのが東条英機である。
従つて、国際平和を実現せんとするならばこの生存競争説以上の社会理論が可能であることを証明しなければならない。
クロパトキンの「相互扶助論」ドラモンドの「人類上進諭」アルフアデスの「動物社会学概論」エルトンの≒動物の群生」ホヰラーの「昆虫社会学」ドリーシュの「有機体の哲学」T・H・モルガンの「再生」等により我らは、生存競争だけが、生命の凡てを説明してゐないことを知るのである。
否、それとは、反対に、生存競争の奥に生存保存の合目的性法則が宇宙に存在することをすら発見するのである。
エール大学の教授なりし、ロレンス・ヘソダソン博士は「自然環境の適応性」に於て、地球上に於ける環境は決して、偶然による自然淘汰では無く、生命中心の合目的性環境の条件によって進化発展するものであることを、我らは発見すると云ふている。
生命の出現が、合目的性の条件によるに反して、生命そのものが、「元素集中」を必須条件とする為めに、生存競争の形を取った食物競争が出現することも、地球化学の説明するところである。
地球化学の権威ヴエルナドスキーは、地殼上に於ける謬質量の恒存性より割出して、地球表面に於ける生物の一定量の恒存を信じてゐる。(高橋純一博士訳ウェルナドスキー原著「地球化学」参照)
即ち、彼によると、地球上の生物は.下等動物より高等動物に進 化する道程は、生存競争と見える転換であるが、――それは恰も、卵の中から黄味を吸収して、雛が孵化する如き過程であることを想到せしめる。
生存競想の世界は決して偶然的盲目闘争では無い。それには明瞭なる時間的、空間的、本能的環境の条件によつて区画せられ、地理、気象、生理、心理等の生活条件によって拘束せられているものである。
故に、之等凡てを超越なし得る心理的、道徳的、宗教的生活意志が具備すれば、生存競争を超越して「平和」の世界が顕現なし得るものである。
たとえば、印度宗教に於ては、殺生禁断の工夫が、昔より発達し、菜食主義を励行し、宗教行事として、生存競争離脱の方策が、昔から案出せられている。
また、キリスト教に於ては、印度教の如く厳格では無いが、初代教会より、菜食主義を以って、最高の道徳の基準の一を果し得るものと考えた団休もあり、戦争絶対否定の信仰を持続し来たものもある。
生存競争離脱の方策は全く発明へ発見による外方法は無い。それを外的条件に求めるには、余りに困難が多過ぎる。然し「生化学」の発達により、蛋白、脂肪、澱粉、ビタミン、ホルモンの合成が完成すれば、人間はもはや、生存競争世界に堕落する必要は無い。
かゝる時代はなかなか来ないかも知れない。然し十九世紀以降の科学の驚くべき発達は、それの不可能であることを断言することを許さ無い。否。それとは反対に、科学の発達により、新しき「元素集中」の食物を発明する可能性を充分教えてくれる。
この可能の信仰は、宗教的領域に属する。科学は、知識のみに限定せられる。然し、時問の上に発展する世界は、可能性の余地を残す。それは、盲目的必然性世界観に反撥する。
私は、人間世界に於て、合目的性意識が目醒め、人間の心理性を通して、生存競争を整調し、更に之を離脱する精神的自在性の世界を創造する可能に希望をつなぐことが出来るようになったと思う。
この確信なくして、世界国家創設の理想も、国際聯合の実現も全く不可能事に属する。徹底したきは、この平和哲学の完成である。平和哲学は犠牲愛を基調とした哲学であって、宇宙に犠牲愛の神の実在を理諭づけ、合理化する事であるが、その哲学が将来完成されねばならぬ。又それが人類最高の哲学である。(一九四七年一月号)