協同組合の理論と実際(8) 賀川豊彦

 十二、協同組合運動の芽生え

 我等はここで協同組合(Co-operative Society)の歴史を辿つて見たい。
 この協同組合合(Co-operative Society)を、滿洲及び支那では、「合作社」と称してゐる。
 この協同組合運動を思ひ付いたのは、英國のロバート・オーエンが最初であつた。オーエンは一八二四年頃から協同組合といふ言葉を使つてゐた。然し残念なことには、ロバート・オーエンはこれを単に社會科學とのみ考へて、宗教意識の上に基礎づけられた、經済運動とすることが出来なかつた。
 その爲作つた組合も、利益を社會的に使用することをせず、投資した資本に應じて分配することにしたので、折角立派な組織運動を起したにも拘らず、實際的運營に於ては、不成功に終つた。
 一九世紀中葉、英國に、よき協同組合の發芽を見ることが出来た。
 これが協同組合の歴史の初頁に輝かしき記録をとどめたロッチデールの兄弟達の協同組合運動である。

 十三、ロッチデールの協同組合運動

 今から約百年前一八四四年十二月廿二月に英國マンチェスター市の東北十四哩の地點にある織物工業の盛なロッチデール(Rochdale)その丘の中腹に二十八人の織物職工達が一ポンドづつ出し合つて小さい組合を組織した。
 そして(一)利益拂戻し、(二)持分の制限、(三)出資額の多少によらず、一人一票の投票權といふことを原則として實行した。これが有名なロッチデール式組合運動の起源であり、萬國消費組合の範例となり、根本原則となつた。
 その最も新しい点は分配制度のうえに立つたことで、これは古今未曾有の大發見と言はねばならない。
 その少數者によつて創められた運動が口火となつて資本主義を是正する大いなる結果を生んだことは驚くべき事実といはねばならない。
 ロッチデール・ユニオン(組合)では、その儲けた利益を按分比例で払ひ戻す、この分配制度の確立によつて欧洲は漸次救はれるに至つたのである。
 この真摯なる職工達によつて始められたロッチデール式の、獨占権の打破と利益の消費高に応じて払ひ戻すと言う方法は、「富を搾取しないことと、集中させないこと」に於て根本的な原理を持つてゐる。
 そして合言葉として「来れ、助けよ、投票せよ、批判せよ、働け」といふことを勧めあつた。ロッチデールの協同組合運動は、マリウス・キングズレー等の基督教社会主義の支持を受けた。
 そして英国に於ける消費組合運動は、驚くべき長足の進歩を遂げたのである。
 ドイツに於ては、デリッチのシュルツ氏が、ロッチデールの原則を都市信用貴組合に応用した。今から約八十年前の一八六九年に至つて、ヘーデスブルグのフレデリック・ライファイゼン(Raiffeisen)がロッチデール原則を改良して、農村信用組合に応用した。
 ライファイゼンは熱心なキリスト信者であつた。彼は、極貧の田舎の家庭の戸々に保險を持ち込むといふ困難な仕事を遂行したのである。そして小農の生活を鞏固にし、各種の危險は保險で補償され安心して生業に就かしめたのである。彼は金融によつて得た利益を組合員中の、最も貧しき者に生業資金として無利子で貸し與えるやうにした。かくの如く組合を通しての防貧、及び救貧事業が著しく發達するやうになつた。その後デンマークに傅はつて彼國を疲弊のどん底から救ひ、フィンランド、フランスその他欧洲諸國も消費組合をつくるやうになつた。(続)