協同組合の理論と実際(9) 賀川豊彦

 十四、日本に於ける協同組合の歴史

 我國に於ては古来、無尽・頼母子講といつたやうな極めて通俗的な意識ではあるが、一種の共済組合的制度が民間に行はれてゐた。
 叉、地割制度と称する、一種の土地利用組合も存在した。これは、洪水で苦しんだ地方、例へば越後長岡が如き、何年目に一回恐ろしい洪水の災害をうけて、耕地を全部失つてしまふ農民がある。かかる場合、農民は團體を組んで、その土地の土砂礫を除き、地面を分割して相互補助の制度を設け、勞力出資による耕地回復を實行した。この地割制度は、水災に苦しむ農村を救済するまこと優れた方法である。
 叉福岡縣宗像郡地方には、徳川時代から続いた一種の醫療組合制度ともいふべきものが残つてゐる。
 明治十一年の頃に、成島柳北等の發起で、東都両國方面に共済會といふものが作られた。これは今日の一種の共済組合である。降つて明治卅一年に片山潜の編輯した『勞働世界』の影饗をうけて東京砲兵工廠の職工中の有志が協力して共働の売店を開いた。これも一種の消費組合と見るべきであろう。
 かく考へると我國にも、昔からある形の協同組合がないわけではなかつた。しかし高遠な理想をもち、美しい互惠共助の實践によつて資本主義的搾取に對して敢然と戦ふだけの大きな勢力としての協同組合は存在しなかつた。
 日本に於ける協同組合運動は一九〇〇年(明治卅三年)で内務大臣平田東助氏がドイツの都市信用組合であるシュルツ式のものを移植した時から始まる。しかし当時國民は殆んど協同組合運動が如何なるものであるかといふことを充分理解しないで運動の方から始めた。最初の年は十六作つたが、殆んどすべてが信用組合であつた。
 數年後、消費組合運動にも手を付けたが、經營運用の原理を理解しなかつた爲に、殆んど大半の消費組合が一時に潰れてしまつた。
 一九一九年、勞働階級の間に、物價の昂騰に苦しむ者が多くなつたので、無産階級の間に消費組合運動が始まつた。
 無産階級の組合運動が始まると共に。政府が作らしめた協同組合運動も新しい力を得、一九三五年の四月には、一萬四千六百の組合が出来、五百二十萬人の組合員を有するやうになつた。
 信用組合だけでも十八億圓に近い資本金を持つやうになつた。一九三九年には、組合員數六百五十萬を數へ、一萬二千ある農村に於て、未組織のものは僅か二十四を残すのみとなつた。
 且つ、協同組合の仕事としては、利用・販売・購買・信用の四種事業を兼營するやうになつた。

 十五、伏見十六會に学ぶ

 協同組合運動が、いかに個人の福祉を増進し、家庭を幸福化するのみでなく、一村一町一市、更にひろく国全体を富強にするかといふことは幾多の証拠がある。
 その中で京都府下伏見町の伏見十六會の始めた信用組合のことを学びたいと思ふ。
 また、これはたつた一人であつても善き意識に目覚めたら周囲に、市町村全体にいかに深大な感化を及ぼして社会を改造することが出来るかといふことを雄弁に物語るものである。
 日清戦争当時、京都府伏見町では、倒産する者が相次いだ。
 当時(明治廿七年頃)日本には、まだ産業組合法が出来てゐなかつた。
 伏見町に、人見といふキリスト信者があつた。人見氏は、この世相を凝視して坐するに忍びず、敢然と立ち上つた。初め八人の同志が糾合し、後に倍の十六人になり、ここで十六會といふ名の組合を組織したのである。
 この十六人の人々は、一日二銭づつ貯蓄して、伏見町に寄附することを約束した。
 その清き精神に感動して十六人が卅二人となり、千人となり、一萬人を越ゆるに至つた。
 明治卅三年、産業組合法が發布せられると共に、下地が萌えてゐたので直ちに伏見信用組合は十六會を基礎として成立した。
 十六會は、その利益を以て伏見町の教育に貢献した。伏見菊水高等女學校と、伏見商業學校を創立した。
 伏見高等小學校を卒業して。上級の學校へ行きたくても、學費のないものには、大學を出るまで學資金を貸出すことを十六會の目的の一つとして加へた。
 この美しい精神が、伏見町を救つて幾多のよき人物を輩出せしめた。代議士水谷長三郎氏のごときは、この十六會の生んだ人物の一人であるといふことである。
 私は、協同組合運動は、かうした隣保愛・互助相愛の精神的基礎を持たねばならぬと思ふ。この隣人を愛する精紳が組織を生かし、組織は彌々(いよいよ)強大になつて團結を生み、あらゆる理想の實現となつてゆくのである。
 伏見十六會が教育方面に大きい貢献をなしたが、更に押し進めるなら生活各般の住宅・栄養・死亡率減退・保健衛生・文化方同等にも深大なる寄與をなすことが出来るのである。
 我國にはないが、外國にはユートピア(理想郷)文學といふものがある。
 即ち理想社會、理想國家の有様を現在あるが如くに描いたもので、読んだだけでも非常に楽しい。不如意な世に住んでをりながら、桃源仙郷に遊ぶの快は叉格別である。
 互に相愛して、働いて得た利益を公平に分配し、個人家庭社會の幸福と向上の爲に使ひ、至善の施設を拡大深化してゆき搾取なき社會を造る、即ち夢想するが高くて手が届かぬ理想が次から次と現實となつて目の前に現れる。これこそ理想の社會、理想の國家である。故に協同組合が正しく發達すれば理想郷も決して不可能ではなく、且つ遠くにあるのではないといふことが判るのである。(続)