世界国家15 平和政策としての教育(1948年3月号)

 太陽を射るもの
 昔、台湾には二つの太陽が輝いていた。台湾の熱いのはそのためであった。一人の理想に燃えた男が、この二つの太陽の、せめて一つでも射落して台湾を焦熱地獄から救い出さうと思い立ち、弓矢を背にして太陽に向って進んだ。多くの年月は経過したが、彼のめざす所まで到達するのにはまだまだ距離があった。そこで彼はこの大事業は到底自分一代では実現出来そうもないということを悟り、此度は自分のこどもを背負うて出かけて行った。自分一代で実現出来なかったら、背の子にその衣鉢をついでやらせようとゆうのである。やがて彼は死んで子の代となった。しかしその子もその一代では実現出来そうもなかったので、父がしたと同じように、彼の子を背に負うて進んで行った。こうして子から子、その子からまたその子とバトンを渡して進むうち、何代目かの子の手によって、美事に一つの太陽は射落された。そして台湾は一つの太陽だけとなって、炎熱はやわらげられた。……
 これは台湾に残る伝説であるが、同じような伝説は他の国々にもある。シカゴのミシガン湖畔の公園にはこの伝説を立体化した銅像が建っている。一人の老人とこどもの彫刻でこどもは手に弓をもって天の方を振り仰いでいるところである。私が「死線を越えて」の中篇を「太陽を射るもの」と題したのはこの伝説に拠ったもの

で、大きな事業を完成するためには、自分一代では出来ない。何代もかゝつて始めて完成出来るものだ、ということをいゝたいのであつた。
 一時的な平和運動を排す
 日本は世界にさきがけて戦争を放棄し、陸海空軍を全廃した。この大きな空白を埋めて、善く平和日本の実を挙げ無戦世界の実現を期するためには、日本国民の一大覚醒と逞しき実践が要望される。従つて日本および日本人がとらねばならぬ平和政策は、一時的なお座なりのものでも、また因循姑息な消極的なものであつてもならない。私は微温的な平和運動に反対し、戦闘的平和運動を提唱する。そしてこれは現在の自分たちだけに止らず、後代にまで継続して行かねばならぬと思う。太陽を射落して、戦争という焦熱地獄から世界を救い出す日までつゞけられねばならないのだと思う。
 平和政策の第一は教育政策でなければならない。勿論、平和政策の根本として平和宗教が必要であり、平和科学や平和芸術が取入られる必要はあるが、これ等の宗教や科学や芸術の平和政策をより効果的ならしめ、またより十分に国民に浸透せしめんがためには教育の力にまたねばならない。戦闘的平和運動は将来性あるこどもを対象とする。こどもにのみ、戦闘的平和運動は期待される。脳随の硬化したいわゆる頭の古い老人は相手とするに足りない。新しき酒は古き皮嚢には盛れないからだ。
 平和運動はこどもから
 平和運動はまず小供の教育から始めねばならない。小供たちの頭に徹底的に平和をたゝきこむことだ。
 新教育制度の発足と共に、公民修身歴史地理の各教科が「社会科」一つにまとめられ、綜合的に教育されることになったのはいゝが、平和日本の建設のために何よりも必要な世界平和に関する項の取り上げ方が低調で、教育当局者の平和への関心と熱意を疑わしめるものがある。
 国際平和協会調査部が小、中学校社会科教科書を調査したところによると別項記載の如く六学年と第九学年(中学三年)とに平和問題に触れた単元があるが、いずれも、世界平和の積極的面には触れず、六学年では今日までの親善の歴史今後の親善方法の如き消極的面にとどまり、又中学三年でも、国際政治経済、文化の過去、現在を説明し、外国文化の理解を促し、さらに戦争の害悪、損失を指摘し、今日まで成し来つた平和への努力から、進んで第二次大戦以後の戦争防止策にまで及んでいるのは大変結構であるが、徒らに項目を羅列しているだけで、上ツつらを糊塗している、という感がある。露骨にいうなら、魂の這入つていない憾みを禁じ得ないのである。
 国際親善も大切である。外国事情の理解ももちろん必要である。戦争の原因や害悪を知ることは特に必要である。しかし、さらに積極的に平和問題の根本を衝く指導が小中学校においてなされてほしいと思うのである。              
 今や日本は全く生れ変って、いのちがけで平和を守り通そうとしているのである。従来のような、ていさいや、おざなりなやり方だけでは平和日本、平和日本人は育成されない。私のいう戦闘的平和運動の一環として、もっと積極的な教育指導を翹望してやまないのである。
 平和教育と科学知識
 九箇年の義務教育の教科書に、コース・オブ・スターディーに、もっとく数多き平和教程を取り入れよ。これなくして、平和日本の確立は期待し得られない。
 では、教程の中に、どんなことを取り入れたらいゝのか、私は思いついた二三を次に記して見ようと思う。
 平和教育は、抽象的に平和を説くだけでは迫力がない。より科学的に、より具体的に教える必要がある。
 戦争が放棄され、軍備が全く徹廃されて、いささか不安を抱いている日本人の頭に、生存競争のみが真の生命の進化を促すものではなく、むしろ反対に、武装を放棄したものが永く栄えて行くという事実を、動物の進化の歴史に徴して教える必要がある。たとえば無背柱動物だから、無防備動物だから、生存競争に敗れて亡んでしまつている訳ではなく、アミーバーの如きさえ、滅亡の一途を辿つたものとはいえない。また軟体動物の代表者の如く見られている蛸も、今を距る四億年も前は甲羅を外側にもっていて武装していたものであるが、その後その武装を解除し、甲羅も体内に引っこめてしまった。ところが、武装を解除したことによって亡びてしまうかと思うと、その反対で、軟体動物となったため却って何億年の間、存在をつゞけて来たというような事実を教えねばならないと思う。
 哺乳動物について見ても同じような事実を発見する。たとえば遠き昔南米にいた牙のある虎のような猛獣が、沙漠の生活を営んでいるうち、いつか牙を落してらくだとなり、却って生存を全うしているという進化のあとが、南米哺乳動物史に記されていることを教えたい。
 愛は生存競争にかつ

 ウエルズは生存競争というものは、それほど甚だしいものではないといっているが、実際、進化の歴史から見るとダーヴヰンのいう優勝劣敗の原則は必ずしも当てはまらないで、母性の進化をもち、性の醇化したものが却って進化の速かなる事実を、私たちはヘンリードラモンドの「母性の進化」から学ぶのである。
 まだ動物の中でも駒鳥の如き、みそさゞいの如き、或は蟻、猿、かに、馬の如き比較的闘争力に乏しい動物が、相互扶助の風習をもつているために生存をつづけているという事実を、私たちはクロポトキンの「相互扶助論」によつて教えられる。その他、フアーブルやホイラーの書物を通して、私たちは小さい昆虫が、社会性をもっているために意外に強い存在となっている事実を、興味深く学ぶのである。つまり、社会性の進化した「友愛」をもつもの――言い換えれば、社会愛を把持したものが生存競争場裡に立っても、最も強者であるということを知るのである。こうした事実をこどもたちに教えて、愛が生存競争にも勝つものであるという事実を知らしめねばならない。今日までのような皮相的な動物学の教程を改めて、こうした平和的な、根ざすところの深い自然科学を教程の中に取入れるよう、当局に要請したいと考える。
 科学性の裏付けがなければ、真の平和運動とはならない。平和日本を護持し発展して行かねばならぬ将来の日本国民に向って、まず科学的な平和教育を注入する必要があろう。

 社会愛の歴史を

 科学的教育のほかに、精神的な教育を平和教育の中に取り入れたい。例えば博愛の歴史を教え、博愛の社会的進化について考えさせる必要がある。
 中国の名作三国志をひもといて見ても、真に尊敬されているのは劉備玄徳の如き英雄ではなくて、関羽の如き友を助け、友のために犠牲となるような人物である。西洋の歴史は一層進んでいて、愛の歴史の観がある。その歴史が近代文化を産んだ事実を教えたい。
 ローマ帝政の道徳的発狂時代にも、純潔と奉仕と神への精進を誓つて地下のカタコムにまでもぐり込んだ人々のあつたこと、そのローマの地下四百哩の長き坑道に、四百万の屍が埋められたこと、彼等は暴虐に抵抗もせず、黙々として神に近づき、神に近づくことによって相愛互助の世界をまどろんだこと等の事実。
 また下つては、チユートン民族やケルト民族がまだ食人種の異風を守つていた時、挺身その中に進んで行って、天来のその福音を実行の上に現したマルチンやボニフエースやパトリツクのあつたこと、十三世紀の聖徒アツシジのフランシスのこと、南ドイツのモレヴイアの一団のこと等、等、社会愛の歴史の一端をこどもたちに教えたい。
 歴史を唯物的にのみ見る人は、骨格のみを見て人体が出来ていると主張する人だ。彼等は血と生命と精神とを度外視している。それは歴史の糟粕にしか過ぎない。
 ステツドの「キリスト教社会愛史」(私の訳書が出ている)や「兄弟愛史」(同上)を参考にして、これ等博愛の歴史をこどもの頭に注ぎ込み、平和教育の一助に資してほしいと思う。
 日本歴史にしても、新制度下の教科書は生活史を取り入れているのはいゝが、さらに進んで、社会愛の歴史なども取り入れて貰いたいと思う。古くからあつた頼母子講の如き太子講の如き互助運動の歴史を、こどもたちに示して、彼等をして人間社会には闘争のほかにいみじき親和の歩みのあつたことを教えて貰いたいと思う。
 魂の英雄伝を
 また辻斬強盗や殺人犯人に均しい人物の英雄伝が、歴史から一掃されたのを好機として、人に仕え、進んで人の犠牲となった魂の英雄の伝記を、こどもたちに語られたいと思う。例えば、食人種の住む蛮地に伝道したペートンの如き、或はリビングストンの如き、或は現になお医術と音楽とを携えて、アフリカに伝道しつゝあるシュバイチエルの如き愛の行者の人となりと献身犠牲の事実の一端を、こどもらに語り聞かせて彼等の小さき魂に彫り込むことが望ましいいと思う。
 また印度の阿育王が、はじめ五万の敵をほふつたが、後にこれを悔い、ついに出家して南インドで救世の生活にはいつたという美しい慈悲の仏陀の歴史や、わが国では関東一の武者と謳われた熊谷次郎直実が、若き敵将敦盛を手にかけたことから世の無常を感じ、剃髪して仏門にはいつたざんげ物語などよろしかろう。
 ルーテルさえ武器を携えていた十六世紀に、早くも武器を捨てたメノナイトの運動の如き、或はメノナイトの感化をうけて無抵抗愛を説き、全財産を百姓に分配しようとして果さず、八十余歳の高齢で家を出、旅の空で客死したトルストイ、その他ヂヨーヂ・フオツクス等、等これ等の人々の伝記も挿入されることが望ましい。

 動物愛護の物語を      

 さらに、殺生禁断の理念から出発した動物愛護、禁猟地区の興味ある物語も、これによつてこどもたちは、殺伐な闘争物語では味えない人間愛を読むことだろう。たとえば伊勢の外宮の森林内に何十万羽という鴨が、禁猟区のゆえに群棲しているうつしき光景や、房州勝浦が日蓮上人の出生地であるところから殺生を慎んでいるため、手をたゝくと魚がよって来る話や、田中某氏が鯉を飼育し愛護を怠らぬため、彼が声をかけると、鯉がその声に従って或は舞い上り、或は沈んで行くという話。また印度で孔雀を保護していることや、北米の国立公園ヨセミテで熊を保護し、観光客もこれを追つたり傷けたりしないので、よく人間と親和していて、わが国の奈良の鹿と同じように、ノコノコと街路に出て来てはキャンデーなどを貰つて喜んでいる事実を知らせたい.
 私はこうした鳥獣の保護地区(サンクチュアリーを日本の各地に作ることも一つの平和運動だと考えている。たとえば、北海道の一部に、ヨセミテ同様、熊を害せず、また熊も人を害しない地区を作りたいと思う。奈良の森などには、鹿ばかりでなく、猿などを保護する地区を作つて、動物と人との親和を図つて見たらと思う。

 平和芸術・平和体育
 文芸、演劇、映画、絵画、音楽をはじめとして、お伽噺や紙芝居のたぐいに到るまで従来の軍国主義的のものは勿論のこと、闘争的のものはこれを追放して平和的芸術に替えねばならぬ。芸術文学ではトルストイの「戦争と平和」の如き、ドストウエフスキーの「罪と罰」の如き、またわが国では宮沢賢治の童話の中に自然と人間の調和を巧みに取入れたものがあるが、これらをこどもたちに読ませたく思う。
 音楽も、平和音楽を上演して貰いたい。映画も同様である。
 さらに体育は戦争中、軍部によって壟断されていたため体育といえば闘争的のものゝように誤まられているが、これは大なる冤罪である。体育は元来平和的のものである。オリムピツクの沿革を見ても判ることだ。兵式体操だけが体育ではないのである。  ヽ
 私の望むところをいうなら、日本は暴風や洪水や地震などの災厄の多い国柄であるから、こうした災厄の勃発した際、まつ先にかけつける冒険的な人物を必要とするが、体育がこれらと結びついてくれたら、どんなにか救急運動の進展を見ることだろうと思う。現にアメリカの教会の一部では、アフリカ伝道に派遣される宣教師はフットボールの選手の中から詮衡する慣わせになっているのさえあ
る。平和の体育だからといって、野卑なダンスなどに走るな。青年たちよ、剛健にして進取なる精神――冒険的精神を以て、平和体育を培え! と私は叫びたい。
 私は瑞典を思う、百年以上、平和がつゞいて、瑞典は文弱に堕ちそうになつた。これを憂慮して大に剛毅冒険の風を涵養し種々の探険を行つたり、美しい上に逞しい瑞典体操が奨励されたりした。わが国でも、或は深海に、上層圏に、火山地帯に平和の科学的探険が行われ、これに平行して、平和的であるが、逞しい男性的な体育を奨励して行きたいものと思う。
 平和はお題目ではない。逞しき実践である。
 平和運動はいのちがけで平和を守り通す戦闘的運動である。それだけにわれ等はこれから伸びあがるこども、そして、まじめで冒険心に富む青少年たちに対して大なる期待をかける。
 次代を荷負う国民の教育をほかにして平和運動はない。(一九四八年三月号)