世界国家14 祈なくして創造なし(1948年3月号)

 唇を開かない児に、乳を与えることは出来ない。食慾の無い病者に滋養分を補給することは出来ぬ。
 求むるものにのみ与えられ、尋ぬるものにのみ発見されるということは永遠の真理である。成長せんとするものは要求を持つ。目的を持つものは発見を急がねばならぬ。門を叩く者にのみ、戸は内より開け、実験室に閉ぢ籠るものに、真理はその門戸を解放する。
 可能性の世界は我等に翼を約束する。天地の創造者は、絶対の可能者である。絶対の可能者は、不可能をも制約する、絶対の不可能は可能者のみの権限に属する。
 融通自在、全智全能でいまし給う宇宙の創造者は、変転自由になる世界を出現せしめ給うて、玄妙不可思議なる存在物を、多く造り出で給うた。その目的はあまりに奇しく、その計画は、あまりに深いが、我等の浅薄なる想像によれば、神の像(すがた)に似た人格の創造にあると考えられる。
 意識的存在としての人格に、創造者は、全精力を傾注せられているかの如く見える。それは、宇宙進化の頂点ともなり、それは実存世界に於ける最後の終点とも考えられる。
 宇宙を意識し給う創造者は、「意識」の創造によつて、意識の中に、意識として自覚し、自己の中に、他者を発見し、創造の世界に
再創造の可能性を、更に確保し給う。
 かくして、人格と人格、意識と意識との対座は、目的を合成し、多にして一、有限の中に、無限を発見し、無限の中に有限を意識する、遍通自在の世界を織出し給うた。宇宙意識の世界は、有限意識に対しては「超越」し、「内在」し、「表現」し、所謂三位一体の絶対神位を顕現し給う。
 然し宇宙意識の世界において、存在は価値と合成し、生命と成長が帰一する。意識において、合目的の世界は、存在の可能を約束し、存在の可能は、目的世界への達成を制約する。茲において、存在の世界は、祈の世界であり、祈の世界は、存在の世界である。
 祈あるところに、存在が可能となり、発明と発見は軈て新しき世界の創造となる。祈なくして、発明なく、発明なくして、新しき世界の創造は無い。かくして、祈は、存在のあり方においての必須なる条件である。祈なき所に、創造なく、祈なき所に修養はない。(一九四八年三月号)