第2回例会報告 「日本の生活協同組合の歴史 戦前・戦後」
JCCU協同組合塾は、7月29日18時からコーププラザ4F会議室にて第2回例会を開催しました。元日本生協連常務理事の斎藤嘉璋氏を講師にお迎えし、「日本の生活協同組合の歴史 戦前〜戦後」というテーマでお話いただきました。参加者は23名で日本生協連職員以外の、協同組合関係団体、賀川豊彦ゆかりの関係者も参加されました。講演後の交流会では、講師を囲み感想交流を行い、学んだ内容を深め合いました。
講演では、明治の初めにイギリスの消費組合が日本に紹介されてから1960年頃までの戦前・戦中・戦後の生協の歴史をお話いただきました。斎藤氏は、「生協の歴史を振り返ると戦争と生協の誕生(設立)にはある特徴が見られる。戦争があると物価が上がり、暮らしが厳しくなり生協が生まれる。」と戦争を区切りに歴史を振り返られ報告されました。
1.戦前・戦中の生協運動
■西南戦争(1877年)と共立商社など
藩主に同行してイギリスで学んできた馬場武義(小城藩出身・佐賀県)が1878年に郵便報知新聞でイギリスの消費組合、ロッチデール公正開拓者組合を紹介した。
日本での最初の生協は、1879年に生まれた共立商社・同益社(東京)と共立商店(大阪)などである。共立商社は、早矢仕有的(丸善)、藤田茂吉(郵便報知新聞)らが発起人である。同益社は、沼間守一(東京横浜毎日新聞)、松田秀雄(初代東京市長)、共立商店は、村山龍平(朝日新聞の創業者)などが発起人であり、マスコミ、実業界などのオピニオンリーダーであった。出資金は10円〜25円で、当時の2カ月分給料相当にもなり、一般庶民は加入できなかった。これらの生協は、数年後に倒産した。当時の日本は、産業革命がまだ起こっていない状態であり、商業も未発達だった。早すぎる実験であった。
■日清戦争(1895年)と共働店
アメリカ帰りの片山潜、高野房太郎などの指導による労働運動が起こる。1898年に鉄工組合が誕生し、付属して共働店ができた(築地、王子、石川島など)。こうした動きに対し、1900年に労働運動や政治活動を規制する治安警察法が公布された。
1900年には、産業組合法が公布された。この法律は、農村での農民の生活や農業生産を手助けするための購買組合や信用組合の結成を促進することが主な目的だった。しかし市街地での購買組合の結成も可能となる根拠法でもあった。
■日露戦争(1904年)と各分野への広がり
大学(慶応1903年、日女大1905年、農大1907年、一ツ橋1909年円)で消費組合ができた。1908年に官吏等による市街地購買組合ができた。東京18組合(全国44組合)。足尾銅山に福利厚生のために消費組合ができた。日本で今も残る最も古い生協である。
■第1次世界大戦(1914年〜)と新興消費組合運動
第1次世界大戦とロシア革命、米騒動、世界恐慌といった情勢のもとで、現在につながる新興の消費組合が誕生した。以下のとおり。
1919年(大正8年)、家庭購買組合設立(理事長・吉野作造、専務理事・藤田逸男)。
1920年、友愛会による月島購買組合がつくられた。また東京に共働社が次々につくられ、その後「関消連」を結成した。大阪では、共益社が友愛会関係者により設立された。
1921年、賀川豊彦の指導による神戸購買組合、灘購買組合が設立された。
1926年、賀川豊彦、安部磯雄の指導による東京学生消費組合が設立された。
1927年、関東大震災後、賀川豊彦の指導による江東消費組合が設立された。
■満州事変(1931年〜15年戦争)昭和初期の発展と戦時下の苦闘
1931年、東京医療利用組合(新渡戸稲造、賀川豊彦、黒川泰一)
1932年、西郊共働社が武蔵野消費に、落合消費などと合併→城西消費組合に。
1932年、関消連「米よこせ運動」政府米の獲得、東京下町から全国各地に広がった。