愛国心

 尖閣諸島をめぐってまた日中間があやしくなってきた。国境問題はずっと愛国心を煽る格好の素材となってきた。8月28日の日経新聞勇敢のコラム「あすへの話題」にエッセイストとして寺澤芳男さんが「愛国心」について書いていた。

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 ずい分前の話になるが、作家の小田実さんと愛国心について議論したことがある。
 「愛国心とはその国のためなら死ねるということでしょうかね」とあいまいに結んだ。ふたりとも若かった。
 このごろ愛国心を考える。外国生活通算三十年になり、手元の菊のご紋章の赤いパスポートを眺め、日本人だなと思う。
 辛淑玉さんがその著書の中で、「わたしには愛国心はない。国を愛するなら人を愛したい。人を愛しつづけたい」といっている。たまたま生まれた国を強制的に愛せよといっても無理だろう。愛している人といっしょに暮らしていける国を愛するという方が自然だろう。
 私の愛する人の多くは日本にいる。しかし日本以外にもいる。
 世界を二百もの国に線引きぺそれぞれの国がそれぞれの権利を主張し、その国民は常に自国の管掌下におかれる。中には核兵器を持って他国を脅かしている国もある。
 Patriotism(愛国主義)対Cosmopolitanism(世界市民主義)の論争が始まってもう久しいが、それぞれの国のペイトリオティック(愛国的)な政治家が議論に参加するから話はまとまらない。
 「国家」ではなく「地球」、「国民」ではなく「人類」という考えは果かない夢に終わるのか。市民が世界連邦の実現にイニシアティブをとれないのか。
 キリスト教でもなくイスラム教でもない、やおよろずの神の国、世界で唯一の核被爆国日本の市民こそがその役割を果たすべきか。
 核戦争もテロもない。それが当たり前の世界なのに夢物語と一蹴してよいのか。

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 愛国心は本来だれでも持っているものなのだろうが、相手を謗(そし)るのは本当の愛国心ではない。もっと悪質なのは「非国民」と言われたくないがために相手を謗る行為である。集団主義の国家では得てして起りやすいことなのだが。(伴 武澄)