賀川豊彦が見たアメリカの欧州

米国の地方色

米国を大別すれば、南北に分れ、デキシー線がその境である。更に北部を区分すれば、東部、中西部、西部、太平洋岸の四つにわかれる。
然し米国の面白さは、地理的区分ではなくして、人種的区分である。米国は合衆国と言はれるだけあって、全く聯邦政治の国である。ルーズベルト大統領の弱ったのは、この聯邦政治の憲法にいつも引懸ったのである。N・R・A(国家更生法)が駄目になったのも、A・A・A(農業補助法)が駄目になったのも、問題は同じことである。
で、地方地方で風俗、宗教、人種、教養が著しく違ってくる。たとへば同じ南を言っても、テネシー州の山岳部に行くと、同じ鼻音の多い英語を話しするアングロ・サクソン系の人々でも、此処だけは全く何百年間奴隷を使用しなかったといふから、面白いではないか。また、ニュー・イングランドで伝統を誇るピュリタン系だとのみ思って居れば大きな間違ひで、今日では最近三十年間の移民の巣となってしまひ、カトリックの投票によって、凡て政治が支配されるやうになってゐる。
さうかと思ふと、ミネソタ州は大部分スカンヂナビヤの移民で出来たところで、主としてスヰーデン系が多く、次にノルウェー人、デンマーク人と言った風で、北ダコタ州からミネソタ川にかけてル―テル教会全盛と言った傾向を示してゐる。で、ミネソタ州の首府ミネアポリスに行くと、その最も大きな教会はルーテル教会である。この人種的関係でもあらう、米国の協同組合は、ミネソタ州、北ダコタ州、ウヰスコンシン州北部(ここはフヰンランド人)に最も発達してゐると言っていい。
さうかと思ふと、ミシガン州は、オランダ人の植民地である。かうした地方に行くと、母国の言葉を、皆小学校や中学校で教へてゐるから面白い。勿論、母国の宗教を継承してゐる。ミシガンでは、和蘭改革派のカルヴヰン主義が盛んである。
その南のイリノイ州は人種が混淆して、確に区分出来ないが、カンサス州に這入ると、欧州大戦前に来た独逸人が馬鹿に多くなる。カンサス市の看板を見ると、大部分が独逸人の苗字である。さうかと思ふと、その西側のネブラスカ州はまたスヰーデン系の移民で固まってゐる。然しロッキー山地方に行くと、また却ってニュー・イングランドから移民して来た純アングロ・サクソンの血に接する。但しその多くはモルモン教徒で、昔は一夫多妻を信ずると言って馬鹿にせられたが、善良な開拓的精神に燃えた人々である。私はこれらの人々の間に六ヶ月を送り、彼らの善良さに感心した。アリゾナの沙漠を今日ぽつぽつ開拓しつつあるのは彼らモルモン教徒である。
米国で最も美人の多く住んでゐる地方は、ペンシルヴェニア州地方であらう。信仰に於いては多少保守的ではあっても、道徳的精神は伝統的である。ペンシルヴェニアを開いたのは、ウヰリアム・ペンである。ぺンを出したクェーカー教徒は、無抵抗愛をその根本としてゐる。不思議にその無抵抗主義で、アメリカの土人は彼らになつき、この地方だけは戦争なくして広大な土地に大きな植民地が出来上ったのであった。

ペンシルヴェニア・ダッチ

クェーカー教徒の、宗教的信仰の自由を慕うて、欧洲から逃げて来たのが、独逸で迫害せられた敬虔派の人々であった。その中心人物チンチェンドルフ伯までが、今を去る約二百年前に、ペンシルヴェニア州ベテレヘムに落ちて来たのであった。後、彼は赦されて故国モレヴィアに帰ったが、今日モレヴィアン教徒として知られてゐるものの、米国の中心地はベテレヘム市である。そこは鉄工場の大きな熔鉱炉が据り、昔の神秘はなくなったが、敬虔派の厳な信仰は、未だにそこに残ってゐる。独逸は昔から迫害の国だ。敬虔派と前後して迫害のために独逸から逃げて来たものが、ペンシルヴェニアの西からオハヨ州に植民した。今日ユーナイテッド・プラザレンとして知られてゐる人々がその人々である。これらの独逸人は、今なほ家庭で独逸話を使用してゐる。それで、この附近の英語は独逸訛りを持ってゐる。米国ではこれらの人々をペンシルヴェニア・ダッチ(ドイツの訛ったもの)と呼んでゐる。実に優秀な人種で、米国の科学的開発に多大の貢献をしてゐる。
ペンシルヴェニア州ゲチスブルグ地方に行くと、その地方は全く独逸の国に来たやうな感じがする。会ふ人は大抵独逸人で、教会は独逸系統のものばかりである。

仏語のニュー・オルレアンス

カナダのフランス系市民が、モントリオルを中心にして、今猶仏語を一般に使用してゐることは誰でも知ってゐることだが、米国にも仏語を部分的に使用してゐるところがある。それはニュー・オルレアンスの土着民の間で今日まで行はれてゐる。
ニュー・オルレアンスといふところは、米国での最も南欧風のあるところである。昔の海賊が開いたところであるが、スペインからナポレオンが占領し、ナポレオンから米国が買収したのであった。で、未だに、ナポレオンに縁故のある家が保存されてゐる。
なんでも、セント・ヘレナに彼が捕囚となった際、侍医が彼を米国に逃さうと苦心し、ニュー・オルレアンスに家まで作って彼等の来るのを待ってゐたとのことである。で、ナポレオンのデッス・マスク(死顔の石膏面)が保存せられてゐる。とてもカトリックの盛んなところで、米国のやうな気がしない。
イタリア人及びスペイン人の植民地は、独逸人、和蘭人及びスカンヂナビヤ人程顕著でない。殊にイタリア人の移民は最近三十年間なので、文化を作るだけになってゐない。然し、黒人奴隷が止ってから、米国は彼らに労働力を俟った。そのためにカトリックは勢力が激増した。デトロイト市、ボストン市、ニューヨーク市、シカゴ市にカトリックの投票が激増したのは、全く移民のためである。
カリフォルニアはカトリックのミッションの聞いたところである。その中でもフラシシスカンが、その開拓者であった。で、サンフランシスコは、今日でもカトリック都市である。排日問題が、プロテスタント米国の間に起らないで、カトリック米国の間に多く起ることも、我々は注意する必要がある。
デトロイト市のカトリッく僧ファザー・コフリンが、ラヂオ放送を始めてから、数百万のカトリック教徒が、その呼び声に共鳴し、米国の対外政策をも遂に変更せねばならなかったことは、米国の変調を意味してゐる。
米国はそれまでに変った、カトリックの勢力は三千万を超ゆると言はれてゐる。新教の中で最も大きな力を持ってゐるのは、バプテストである。それで一千万である。新教は分裂してゐる。然るに、旧教は団結してゐる。これだけでも、カトリックの力は米国を支配し得る。恐らく、これから米国史上、カトリックの活躍することが益々多くなるであらうと思ふ。
現に協同組合運動などでも、加州バークレーの神父フヰリップ、アイオア州デモイ市の神父テーラーの如き、多くの新教徒が眠ってゐるうらに、早くも組合の組織運邸に着手し、大きな感化を民衆に与へてゐる。
で、この後、これが何う発展するか、頗る見物だと私は考へてゐる。