1930年代アメリカの協同組合(1)

米国協同組合運動の四期

インデアナポリスは協同組合運動から云っても頗る進んだ処である。農村には殆ど隅々まで、協同紹介が普及してゐる。都市にはガソリン消費組合と、消費組合が発達してゐる。恐らく、中西部地方ではオハヨ州に続いての協同組合州であらう。勿論ミネソタ州信用組合の全米本部もある位だから、この方面にはミネソタが勝れてゐるが、将来性から考へると、オハヨ州の力が、ミネソタより遥に組織がよく出来てゐる。米国協同組合運動は決して若くはない。ロッチデールの成立した翌年、もう既に米国に来てゐるのである。然し、多くは失敗してしまった。それは植民地でその必要を感じなかった為であらう。
然し、農民は協同事業の必要を感じて、英国流に「グレンジャー」なるものを、今より三四十年前に組織した。「グレンジャー」とは兄弟仲間と云ふことである。この「グレンジャー」は協同組合と同じ仕事を始めた。勿論消費組合的には発達しなかったが、生産販売組合の仕事をした。で、今日、米国で最も古い協同組合の一つであるコーネル大学所在地のエチカを中心とする「ニューヨーク州グレンジャー協同組合」の如き、農民十万人を包含する一大組合は、このグレンジャーから発達したものである。
ワシントン州シヤトルの「グレンジャー協同組合」、ヴアジニア州の「グレンジャー協同組合」、みな然りである。
幸にして、このグレンジャーの残ってゐる所は、この上に協同組合を造り上げたが、地方によると、グレンジャーが政治的になり、遂に壊滅してしまった処がある。その後に起ったものが、中央政府の「法人」認可を与へられてゐる「農会」(ファーマーズ・ビューロー)である。グレンジャーの無い所は農会が中心になって、生産販売の仕事を始めた。で、オハヨ州コロンバスの巨大な協同組合、ミネソタ州のそれ、イリノイ州、インデアナ州等々、凡そグレンジャーの無い所は農会を中心にして協同組合が起ったのである。之が米国協同組合運動の第三期と云ヘよう。
第四期は「グレンジャー」にも指導せられず、「農会」にも指導せられず、ガソリン購入の必要上、自然発生的にミネソタ州から一九二六年頃僅か数ドルの金を持って生れた「ガソリン消費組合」である。今日米国に於いて消費組合運動が燎原の火の如く拡がってゐるのは、ガソリン消費組合に一つの源泉があるのである。
勿論、消費組合運動は、フィンランド人が同じ人種の仲間で昔からこそこそやってゐた。たとへばシカゴの北郊エヴンストンでフィンランド人は二十数年以上も小さくやってゐた。またウヰスコンシン州スベリア洲の重要な港スベリア市でもフィン人種が消費組合を三十年近くも、仲間だけでやって居た。然し最近、ガソリン消費組合運動が盛んになるまで、之等組合運動も発見せられずにゐた。
それが財界の不況と、中産以下の階級の経済的不如意の為めに、誰れ云ふとなく、消費組合を組織するものが産れ、今日ではルーズベルト内閣の援助さへ受けて、一大勢力となってしまった。
「嗄れたる声」

殊に、私を永く応援してくれてゐた。ミス・へレン・タッピング女史が、日本から帰って、協同組合の精神とキリスト教倫理が一つにならなければならぬことを各地で講演してからと云ふものは、一般の精神運動と化した。それまでと云ふものは、米国の社会経済思想はヒュヰー・ロングだとか、タウゼンドとか、初父コフリンだとか、――エッチ・ジー・ウエルスに云はせると、「嗄れたる声」の運動であった。コフリンはドグラス少佐の「信用の社会化」のみを、主張して、中央政府の攻撃をやる。タウゼントは養老年金制を主唱して、毎月二百弗を六十五歳以上の老人に給与すべしと唱導した。このタウゼンド運動は殆ど宗教運動となり、老人は随喜の涙を流してタウゼンドに感謝した。
ルイジアナ州知事ヒュヰー・ロングは財産制限論を唱へて米国のムソリーニと呼ばれた。彼は「財産は百五十万弗以上持つ可からず、それ以上のものは凡て没収すべし」と宣伝した。この三つの声は米国に於けるもっとも大きな運動として新聞雑誌に宣伝せられたものである。
然るに、不幸にして、一九三五年ヒュキー・ロングは暗殺され、彼の財産制限論も、その後消えてしまった。
神父コフリンも毎日曜、午後二時からデトロイトのラヂオ塔から放送してゐる。然し、民衆は彼の「嗄れたる声」に飽いてしまったらしい。新聞には、彼に対する非難の方が多く載ってゐる。それは彼が議会の政策にまで一々立ち入った素人批評をラヂオで放送するためである。
ただ、タウゼンドの「養老年金運動」は一九三六年の春でも一種の宗教運動的色彩を帯び、悲痛な感銘を大衆に与へてゐた。
と云ふ理由は、今日六十五歳以上の老人は勤勉な人々であり、米国の今日の大を造った恩人である。然るに彼等は始ど全財産を今度の恐慌で失ってしまった。彼等にすれば、白髪になるまで努力して、猶且つ貧乏しなければならぬ理由がわからないであらう。そこで彼等は養老年金制度を作れと叫ぶのである。
かうした「嗄れたる声」のあるに反して、米国には組織的経済倫理運動が無かった。そこへ消費組合運動が抬頭して来た。然し不幸にして「ガソリンを安く買はんか?」だけの宣伝をしてゐた。そして、それが宗教生活とどんな関係があるかを教へなかった。
そこへミス・タッピングが帰って行き、宗教と経済倫理の連絡、経済倫理と協同組合の関係を説き始めた。そして、私が招待されることになったのである。
幸ひ、主催者が、全国キリスト教聯盟なので、米国の教会は注目した。こんなことは、米国に取っては最初のことだし、協同組合側としても、今迄、経済的にそして唯物的にのみ進んで来たものを、教会側が進んで応援すると聞かされて吃驚したらしい。
実際、米国の協同組合運動の中には、欧洲の協同組合が、ソシアル・デモクラットの主義によって出来たものが多いと同様に、唯物的にまた、無神論的に(いや無宗教的に)、進まうとしてゐるものも多いのである。だから、却って宗教的な米国人の間には進歩が鈍かったのである。
そこになると、米人は唯物的ばかりでは承知しない国民である。建国の精神が宗教的であったことを未だ忘れない。もし聖書に教へることが、経済政策と一致するなら、その教へのままに進むと云ふ傾向は確にある。
所が、米国の学生会などには、どうしてこんなに早く進むかと思ふ程、消費組合思想が著しく流布したものである。