1930年代アメリカの協同組合(3)

「事務の革命」

事務の敏捷と云へば、私は協同組合の保険事務を執ってゐる様子を見て、米国が最近一〇年間に事務執行に革命を来らせるだらうと感じた。
何しろ、「万国事務機械(インターナショナル・ビジネス・メシーン)」と称する不思議な機械が事務室に出現した為め、その機械によって、記録も計算も、自動的に短時間でやってしまふのである。
之は電話の自動式のものと、自動ピアノに使用する「キー」を印刻した白紙の原理を並行したものと見えて、カードにアラビア文字と、数字、名字、番号を記載してあると、その通りの穴がそのカードの上に穿たれてゐるのである。それを電力で高速度で運転する「事務機械」の中に挿入すれば、一〇万枚であらうと、一五万枚であらうと、僅か数時間の中に、加減乗除全部、注文通りに計算し、記載し、その総計を他の紙に印刷して出てくるのである。
この機械は四、五〇〇人の女事務員の仕事を一台でしてしまふのである。で、この機械を製作してゐる会社は、決して之を売り渡さない。一ヶ月三〇〇弗位で、貸付け、修理全部を引き受けてゐる。で、一軒で借りられない所は数軒でそれを借り受けてゐる。
その事務の敏速な状態を見て、之が全米に波及する日、事務室に大革命が起るであらうと私は考へた。

フリン翁の告白

米国の協同組合運動には面白い変り種がある。それはボストンの百貨店で成功したフリン氏である。私は彼と、三四時間ぶっ通して話し込んでみたが、彼は成金のユダヤ人であるにかかはらず非常に豪い所があると思った。
第一、彼は独身である。
第二、彼は大きな邸宅を作らない。儲けた金を全部協同組合につぎ込むのである。
「死ぬ迄に、僕は協同組合に全部寄附する積りだよ」と彼は平気で云ってゐる。而も彼は非常に唯心的であり、宗教的である。彼は私に告白した。
「僕は老いて益々有神的(セインチック)になったよ」
彼は先づ米国の信用組合を盛んにする為めに正金五〇万弗を信用組合に寄附した。そして、米国信用組合聯合会を造った。最初はボストンにその本部を置いてゐたが、最近はウヰスコンシン州マデソン市(ウヰスコンシン州首府)にそれを移した。
そして、一九三六年三月には更に一〇〇万弗を米国消費組合運動の為めに寄附した。この金は米国の消費組合をして、デパートメント・ストアル」経営せしめたいと云ふのである。
最初、私は彼が純理想家か、型の変った慈善家だと思ってゐた。話してゐる中に、彼が勝れたゐ実際家であり、彼の消費組合論が彼の商業学の知識から来て居ることを知って痛快に思った。
フリン氏日く、
「もう、米国のデパートも行き詰りですよ。みな、銀行の喰ひ物です。僕はデパートの経営をしてゐて、その内幕をよく知ってゐるがね、かう金融資本が跋扈しちゃ、経営も出来ませんよ。ボストンのデパートも相当の数に上ってゐるが、金融資本家に利子を支払へば、ほんとは利益と云ふものは、一文も無いことになるものが大多数でせうね。それに、第一、家賃が高過ぎますよ。だから、算盤を置いてみて、経済の立って行くのは、金融資本から独立し得る協同組合のほか途はありませんよ。顧客が自ら出資して、土地建物を組合の所有とし、利息を払はなくてすむ金を廻せば、協同組合のデパートに勝るものはないですね」
これが、なんでもないことだけれども、フリン氏の理論である。
それに彼は数字が喰ついてゐる。この細かい数字は彼の著作に書いてあるとのことで、私は彼の新しい著作を楽しみにしてゐる。彼の著作は欧洲各国語、殊にロシア語などに翻訳されて重要な文献となってゐるとのことであった。
今の処一〇〇万弗のデパートは、最初ミネアポリス市(ミネソタ州)に建てる計画で、調査委員が極力調査を急いでゐる。