1930年代アメリカの協同組合(4)

インデアナポリス協同組合の活動

インデアナポリスに居る間に、私は協同組合の運動を見せて貰ったが、農会関係の養鶏組合の共同孵化場も面白かった。日本でも三河安城町に同種のものがあるが、その規模の大きいのと、大学教授などが直接技術を指導してゐるので、鶏が雛の間に斃れる各種の疾病を早期に発見して、之を除くことに苦心してゐた。
鶏卵の孵化でも、二種の電気器具を使用し温めるものと、卵から出てくる時のものと二種にしてゐた。何しろ、一度に二四万の卵を孵化させてゐるので、その精密な努力に感心した。日本はまだまだ鶏の疾病などに関しては研究が遅れてゐると思った。
日本に於いても養鶏はかうした共同孵化組合を通して、孵化させた雛を共同分配するやうにしたがよいと思ふ。
石油、ガソリンの混合場は唯大きいなと思っただけで、組合だからと云って別に感心はしなかった。然し、此処三年間に千坪近い倉庫に石油が一杯に詰るやうに組合が発達したかと思ふと、その長足の進歩に驚かざるを得なかった。
米国に於いて驚くことは、組合の購買力の絶大なことである。組合員が一〇〇名もあれば大抵一軒の店が開ける位、購買力がある。ガソリンに就いても同じことが云へる。これは到底日本なとで夢にも考へられぬことである。
それから、私は農業機械の協同購入、肥料、食料品、雑貨の共同購買部等を見た。大きなトラクターやリーバーが米貨にすると、実に安価なのに感心した。
之は後に日本の農業家から聞いたのであるが、米国で少し大きく、一五〇エーカー以上も農業をしようと思へば、一万五〇〇〇弗の機械は持たなければ、労働費の為めに却って損をするとのことであった。米国の農民の悩みが何処にあるかが想像出来る。
勿論二、三〇エーカーであれば、その十分の一の農具と馬力でやるにはやれるが、馬糧が高くつくから、その覚悟が要るとのことであった。然し米国でも、日本同様に、金儲作物を中心にしないで、生活作物を先にせよとの呼び声が高くなってゐる。農業問題は世界到る処、同じ問題に打ちかってゐるのだと私は考へた。
唯、インデアナポリスでは、都市労働階級の組合と、農会組合の調和が甘く行ってゐないのが、遺憾であった。之も欧米到る処に見る現象で、都市組合は社会主義乃至は共産主義に傾き、農民の方は或る程度まで、古式資本主義をも許して行かうと云った保守的傾向がある(この極端な分裂は北欧フィンランド中欧アウストリア等に見られる)。米国に於いても、各地に二つの傾向の組合が並立してゐるのは悲しい現象だと思った。