1930年代アメリカの協同組合(5)

「遊んでゐるより面白い」

米国の協同組合の中で、最も発達してゐるのは、何と云うても生産組合である。その中でもカリフォルニアの柑橘生産組合、ミネソタ州酪農組合、穀物生産組合、ワシントン州酪農組合などを私は視察したが、その大規模には一驚を吃せざるを得なかった。之等の組合の一年間の生産額は大低一億弗に近いものであった。
レッドランド柑橘組合の如きカリフォルニアの組合中最大のものであるが、全国に支店を一〇〇ケ所以上も設けて、「オレンヂ」の価格を綜合電信で毎時間報告してゐる。私はその設備を見たが、平凡な事務室に一台のタイプライター様のものがあった。女子事務員が、私に説明する為めに、タイプライター的にそれを打つと、自動的に先方から返事が来る。そして、それが、自動的にペーパーの上に印刷されて行く。
「之は米国一〇〇ケ所以上の都市へ一度に通告出来るやうになってゐるのです。・・・」
さう云って女事務員は微笑した。何だか日本の協同組合と桁が遠ふので、見当がつかなかった。
そして、事務室が芸術化してゐるので、大勢の事務員が喧しくやってゐるのと違って、庭を囲んだ四角形の建築物は僧院のやうな気持のする瀟洒たるものであった。かうして、事務が取れるなら、遊んでゐるより、仕事してゐる方が面白いと私は思うた。
太平洋沿岸のワシントン州協同組合も頗る進歩してゐた。養卵出荷組合を見たが、日本三河安城の養卵出荷組合と段違ひであった。幾十万個の卵を一々検査し、それにワニスを塗り(ワニスを塗ると六ヶ月位絶対に腐敗しないさうである)、之を冷蔵庫で保存するなり自動車で出荷するなり取扱ふのである。
私はその卵の出荷から、輸送の方法の進歩してゐるのに大きな教訓を受けた。二噸、三噸の重い荷を実に手軽に大きな手車の上に置き、自動車へ運ぶのでも、全く人手を借りずに一人で、その荷物を車から下ろせるやうにしてある。それは車の上に木の枠が附いてゐて、車についてゐる槓杅を上げると木の枠がひとり手に立ち上り、その高さが車より高くなるので、手車を引き抜くことが出来るやうになってゐる。
ちょっとした工夫だが、日本の仲仕が汗水垂らして悲鳴をあげてゐるに比して、何たる易々たる事だらうと、見て愉快に思うた。
また同じ建築物の中には鶏を機械で屠殺する室があった。之は日本でも将来考へねばならぬことだと考へた。
そこから、私は「州生産組合」の酪農工場に廻ったが、北海道札幌の産業組合酪農工場の一〇倍以上も大きいので、その威力に感心した。
然し、私はミネソタ州ミネアポリスの酪農工場程大きなものは、世界何処にも見たことは無かった。
私は、ニュージーランドでも協同組合経営の酪農工場を見てゐるので、工場の様式に就いては別に驚きもしないが、一年間、約一億弗の乳製品を一つの工場で加工し、之を売り捌いてゐる大規模の作業には或る種の威圧を感じた。それがニュージーランドなどは清潔ではあっても芸術味が無い。ところが最近の米国の工場は衛生的とか、清潔の程度を通り越して、芸術味を加へようとしてゐるから気持がよい。
工場内には立派なホテルの食堂の如きものがちゃんと出来てゐる。従業員の売店は凡て消費組合式になって居る。