1930年代アメリカの協同組合(8)

篤志組合員の貢献

バルチモアの自助協同組合は始めてから僅かにしかなってゐなかったが、資産も多く出来、みな幸福さうに見えた。然し之は幹部が多く無給で働いてゐる有力な婦人達であったり為めである。
かうしたものが無ければ、篤志会員を得ることは困難であり、従って、製品を売捌くには非常な困難を感ずるわけである。特別組合員の数が多ければ、現金収入を得る方法も比較的容易に得られるし、組合を永久化する可能性が多いわけである。
然し、この労力協同組合は、あまり組合員を多くすると、統一が薄れ、少くては又、日常必需品の生産にさへ困難を感じる。で、最少一五人を一単位とし、六〇人位を一団体とするのが理想的だと云ってゐる所があった。かうした経済団体になると、社会心理的要素が多分に働き、単なる経済行動と云はれてゐるものが、実際に於いて心理的活動を基礎にしてゐるものであることがよく理解される。
私がその次に詳しく見た自助組合は、ロサンゼルスに近いサンタバーバラであった。此処も中心人物は有力な婦人達であった。
此処は人員に於いては多数ではなく、僅か一〇〇名足らずであった。然して特別組合員が七〇〇名近くあり、一切政府の補助を受けず、自助協同組合を継続してゐた。勿論組合員の中には、失業手当、或は救護手当を貰ってゐるものが多かった。然し、組合としては何等の補助は受けてゐなかった。然し、婦人達の力にもよるであらうが、立派な食堂を新築し、勝れた作業を持ってゐた。
此の附近には政府の指導の下にやってゐる自助協同組合が頗る多く、三万人に近い組合員を持ってゐるとのことであった。然し、政府の補助を受けずにやってゐるものは、殆ど指折り数へる程しかなかった。私はそれを見て感じたのは、強力な政府中心の救護運動は、国民の自由的精神を失はしめ、自発的活動を鈍らすと云ふことであった。
サンフランシスコの対岸にあたるバアクレーには、加州随一の大きな自助協同組合があって、七〇〇名近くの組合員と、大きな仕事場とを持ってゐた。
これらの組合の金券は凡て労力消費時間数を単位としたもので、一時間労働して、六ポイント、八時間労働して四八ポイントを貰ふと云った式になり、パン一斤何ポイント、洋服何ポイントと定価が定められ、そのポイント数により相当豊かな生活をしてゐた。
私は之を見て、失業救済にはこれ程よい組織はないと思った。これなら労働のないと云ふことは絶対にないし、怠ける場合はポイントに、ちゃんと出て来るし、不品行でない限り、組合員として生活に絶対に困ることはないわけである。
ただ、個人商店や製造業者の中、この種の産業の発達を怖れて、製品の自由販売を阻止する為め、特別会員のほか取引の出来ないことは、情ないと思った。これは、特別個人団体が背景になって、この種の発達を促せば、失業者を絶対になくし得ない迄も、その何割かを減少し、失業者の怠惰の風習を矯正し得るに、偉大な力を持ってゐると思った。
失業者の出現は金融の不合理、価絡評価の非社会的投機性から来るものが多いので、勤労者を社会的に組織化し、経済的製作品を効用価値の標準により市場化し、その評価を労働時間に通算することさへ出来れば、失業は理論的に云うてもなくなる筈である。
幸ひ、米国に、かうした数万人――家族を入れて十数万人――の自助協同組合が数ヶ年間、実際に運用出来たことは、社会事業の上から云っても面白いことだし、社会経済の運用また実験から見ても痛快なことだと私は考へた。