少年平和読本(16)戦場に劣らぬ銃後の犠牲

  戦死軍人五に対して戦没市民は一
    広島では市民の三分の一が死傷した
 一般市民の戦災死者
 昔の戦争は軍人のみによって戦われて、一般国民は銃後にあって、そのいのちが危険にさらされるということはなかったが、近代戦争となると、航空機の使用によって戦線と銃後の区別がなくなり、国民は老幼男女をとわず、すべて戦火の下にたたせられ、生命の危険を感じるようになった。現に太平洋戦争における我が国の一般国民の被害は戦場のそれにおとらぬものがあった。
 経済安定本部の調査によると、軍人軍属の戦死者は百五十五万五千人、このほかに一般市民で戦争のために死んだ者が二十九万五千人をかぞえている。戦没軍人五人に対し軍人以外の一般市民の死者一人というわりあいは決して少ないとはいえない。戦線銃後の区別はもうない。それだけに、戦争の害はひどくなったことが想像される。
 また軍需工場を始め、各都市の施設や一般民家に対する空襲がおこなわれ、罹災した者の数は、死亡二十四万、負傷三十万、全焼家屋二百三十万、罹災者は八百七十五万四千名といわれる。つまり内地人口の一割が戦災にあったわけで、いかに戦争の惨害が広くおよんでいるかがわかるだろう。もっとも、この中には二度三度戦災をうけている者もあるから、これ等をひいても、一世帯あたり一人は被害をうけているだろうと思われる。その戦災者の中、死亡したり傷ついた人はどのくらいにのぼるのだろうか。安定本部の発表では六十六万八千名という。関東大震災当時の死傷者の十二倍。つまり、空襲の被害は、関東震災が十二へんくりかえされたと同じだったというわけで、まことにおどろくのほかはない。なお特に広島、長崎の原子爆弾による死傷はわすれてはならぬ。
 恐ろしい原子爆弾の被害
 たった二個の爆弾のため広島の死者七万、傷者十三万、計二十万、長崎の死者二万、傷者五万、計七万の犠牲者を出した。全市人口と比較すると、広島では三名に一人、長崎では四名に一人の犠牲を出したわけである。何という悲惨事だろう。
 アメリカの国防省原子力委員長ラップ氏の近著「われ等は隠るべきか」という本をよむと、爆心から四千フィートはなれたところにいた者は致死量の放射線をうけて即死し、それより遠くにいた者も、半マイル以内にいた者は表面は、なんともなくても、体内に放射線が吸収されていて、数時間の後には死んだとしるされている。たとえ、死なないでも、放射線病にかかった者は二週間ほどして脱毛がはじまり、一時的にか、永久的にか全くハゲた者が多く、また血便や高熱・衰弱をはじめとし、血液や造血器官に障害があらわれ、また歯の根の出血、皮下出血があったり、赤血球と骨髄がこわされる。白血球は普通の時七千個あるのが数百から千にへったりするという。
 また熱線のために黒こげとなったり、軽い者でもケロイドといって、らい病のようにブヨブヨにふくれあがったみにくい皮膚になったりして、皮膚をとりのぞいたあとも、重い傷あとがみとめられたという。ラップ氏は「放射線による重症者は、ほとんど絶望で、現代の医学では、まずほどこす方法はなく、ただ、余病がなおせるにすぎない」といっている。まったくの生き地獄である。
 戦争はもうまっぴら
 しかも、これが地震などの天災地変というならあきらめもつくが、まったく人為的にするものだけに、被害者となって見れば、とうていがまんのできかねるといわねばならない。
 だからといってわれわれは爆弾をおとした飛行士をうらむべきではなく、そうした大殺人をさせた戦争そのものを、強くせめねばならない。二度とふたたび原子爆弾など、世界のどこへもおとさせないよう、戦争という悪魔を退治せねばならない。