少年平和読本(17)戦争は避けられる

  戦争は文明を進歩させる
    などという軍国学者にだまされてはならない
 戦争は絶滅できるか

 戦争は絶滅させることができるだろうか。ブロッホ という 学者は『科学が発達すれば、自然に戦争はできなくなる――』といった。この予言は、ある点まではあたった。原子爆弾水素爆弾ができたというので、米ソ戦争もないだろうと、いわれているのでも、わかるだろう。もちろん、わずかなことでは戦争をはじめなくはなるだろうが、そのかわりもし一朝、戦争がはじまったとしたら、それこそ大変だ。広島や長崎にたった一発の原子爆弾が落ちただけで九万人の人間のいのちがうしなわれ、十幾万人の人間が傷ついたというのに、その後、原子爆弾の性能は十倍、百倍に進歩したというし、水素爆弾は、ケタはずれにもうれつだというから、東京ぐらいの都市も、二、三発の原子爆弾でふっとばされてしまうだろう。今のうちに何とかしなければ、人類は原子爆弾のために絶滅する日がこないとはいえない。
 またノルマン・エンゼルという人は『だんだん戦争が大きくなると、戦争の費用がましていくから、その経済上の重荷のために、戦争は不可能になる』といった。しかし、戦費がかさむというぐらいのことだけで、戦争がなくなるということは、考えられない。
 戦争も進化する
 『戦争は絶滅できないが、人間の社会進化の上から、戦争は減る』という説をたてた学者がある。昔は種族の間や、封建諸侯のあいだで戦争がおこなわれたが、だんだんそうした小さな戦争はなくなって、一国と一国との戦争となり、近代になると、二度の世界大戦のように、一つの国家群と他の国家群が戦うようになった。つまり戦争も進化してきた。しかしこれは小粒の戦争がなくなったというだけで、大戦争はなくならない。現に世界は今二つにわかれて、冷たい戦争をしているといわれているが、この二つがそれぞれ原子爆弾水素爆弾をもって熱い戦争をはじめるようなことになれば、戦いのすんだ時には、地球上は人間の墓だけがのこる、というようなことにならぬとはかぎらない。ちょっと考えただけでも、身震いがするではないか。
 戦争は文明を生むか
 またある学者は「戦争のみが文明を生む」といって、戦争を礼賛した。つまり、戦争をして文化施設などを破壊すれば、そのあとに新しいよりよいものが生れて、文化は前よりも進むというのである。わたしはこの説にはどうしても賛成できない。みなさんは戦争で破壊された日本に戦前より立派な文化の花が咲くと思われるだろうか。もちろん、五十年、百年たてばしらぬことだが――。
 世界の歴史を調べてみて知ることは、戦争がすんで、少なくとも五十年以上、平和がつづかなければ、ふたたびさんらんたる文化の花は咲かないということである。戦争で破壊された日本の文化が戦前の程度まで復活するためにも、今後五十年の平和が必要である。歌人齊藤茂吉の歌に
  背に負わるるこの幼な児よわが死後のいかなる時世に大きくならむ
 というのがあるが、日本の文化は今、背中に負われている幼児が、白髪まじりの壮年になるころでなければ、ふたたび花をひらかぬのであろう。
 平和のみ文化を進歩させる
 戦争は文明の破壊者であって、けっして文化の建設者ではない。文化は戦争によって進むのではない。平和のみが文化をおし進める。戦争のつづくあいだは文化の進歩はとまり、道義は頽廃し、発明もとまる。そして平和がそうとう続いて、はじめて道義がたかまり、文化がよみがえるのだ。
 日本でも醍醐天皇の治下(八八五年―九三〇年)は延喜の御世といって天下がよくおさまり、五十年間、国法をおかして罰せられた者なく、よく耕された田畑は八十数万町にもおよんだといわれているが、これというのも、奈良、平安両朝をへて、戦争がなかったためである。
 くだって徳川時代は、武装平和ではあったが、二百五十年、泰平が続いて、徳川文化の興隆を見た。
 また隣の中国では、唐をはじめ宋、清の文化は、これまた諸侯の争覇戦がとだえたために生まれたものといえよう。
 イギリスのエリザベス王朝やヴィクトリア女王時代は、欧州大陸の戦乱をよそに、この大島国だけは平和が続いて、アングロサクソンの文化の花はひとり咲きにおった。
 ずっとくだって、世界大戦にも二度とも、中立の立場をまもったスイスやスェーデンが、うらやましい平和な文化国家をつくっていることは皆さんも聞いてしっているところだろう。
 日本無戦時代の回顧
 戦国時代、日本でも、どこかで毎日戦争をしていた。それが、織田、豊臣をへて、徳川時代になると二百五十年間、一度も大きな戦争をしないですませることができた。もちろん、その時代にも、二百六十一の大名がいて、武装解除をしていたわけではなかった。それが、明治時代になって、人民のすべてが武装解除を申し合わせ、仇うちをしないことにした。そして武器をもつものは、警官と兵隊にかぎられた。
 この徳川時代や、明治時代の経験は、世界平和についてもいえる。みんながその気になれば、つめたい戦争や、あつい戦争をしなくてもすむはずである。ではその方法はどうすればよいか?
 元来、戦争は道義の頽廃からおこるものであるが、それにいろいろの原因がともなう。さきにも話したように権力慾、支配慾などの政治的原因、食糧不足、資財難、人口過剰等からくる経済的原因、人種偏見、階級差別等からくる社会的原因、宗教闘争、イデオロギー闘争からくる思想的原因等が戦争を起こす最大理由となっている。
 しかし、よく考えてみると、これらはまったく無知からくるのであって、人類がもう少し賢くなれば、個人や、一階級が権力慾や、支配慾をほしいままにしても、けっして幸福な社会が生れないことを発見するであろう。
 蟻の世界などでも、武力の強いものが優勝劣敗の原理をしめすのではなく、社会組織をじょうずにしているものの方が優等であることはすでに話した。ハスキンス博士の研究によると、米大陸などでもポネリア蟻のような武装蟻は最初は強かったが、フォイドル蟻という組織力を持つ蟻に敗北し、そのフォイドル蟻も、イリドミリメリス蟻という武装も力もないが、しかし社会的結合力をもっているものに完全におきかえられたということである。
 協同互助の社会組織へ
 唯物主義者のいうように、ただ暴力革命のみによって、世界が進化するなら、世界は革命戦争を重ねるたびに進化していたはずである。革命戦争の一番多い国は南米諸国であるが、あすこほど文化のおくれている地方は欧米にはない。戦争は生産をはばみ、文化をさまたげ、道義を頽廃せしめる。戦争は発明の敵である。それは破壊こそすれ、創造はしない。もし、暴力革命を国際間にくりひろげるならば、原子力による世界人類の破滅は目前にせまっている。
 これを救う道はただ一つ! それは協同互助の社会組織の発明だけである。そして、その模型は国際協同組合同盟に発見できる。
 万国郵便同盟、ロイド海上保険同盟などは形こそちがうが、世界の人々が互助友愛の精神から出発した人道的な計画でその上、成功したものの例である。万国郵便制度が成功し、ロイド海上保険同盟が成功するからには、全人類が、戦争を廃止して、人類の共存共栄をはかり、戦争に消費する勢力を発明と発見につかえば、血なまぐさい武力闘争に力を入れる必要はなくなると思う。
 あとに記す世界連邦政府の組織は、それが目標なのである。これは経済的に互助友愛をもといとする協同組合組織を政治的に広げただけのことである。それは武力をもととする今日の国家主権の一部をけずって、人間連帯意識を根底とする互助組織を世界におしひろめようとするものである。家庭、種族、民族間に、戦争がまっぴらだとされる今日、思想の相違や主義主張がちがうからといって戦争するなんか、バカげたことである。協同組合が、資本主義的搾取から人類社会を解放することができるならば、「世界連邦政府」の発見もまた一つの戦争を無用にする新しい発明といわねばならぬ。