少年平和読本(18)戦争のない一つの世界へ

  アリストテレス以来、世界を一つにしよう
    という努力はつづけられて来たが    

 永久平和への願い

 昔から多くの学者が、頭をしぼって、どうしたら戦争をふせいで永久平和が実現できるかということを考えた。
 アリストテレスという学者などは、『武力か政治力で世界を統一して、世界帝国を建設せよ」といった。しかし剣をもって征服しようとする者は、また剣でほろぼされるということは、もう今までにたくさんの例をもって説明したとおりだ。
 また文芸復興時代の哲学者カムパネラは「ローマ法王を首長にいただいて、世界中の人々が、その教会の支配下に立てばいい」といった。しかし、ローマ法王に、その力のないことはあきらかだ。現に法王治下のカトリックのほかに、たくさんの宗教があるのだから――。そこで、近世になって、法律学の発達とともに、法律――といっても一国の法律ではなく世界法――の力で戦争をなくしようと考える学者が出て来た。そのうち一番早いのは、今から三百二十年ほど前、フランスのアンリ王が、まずヨーロッパにクリスト教共和国を組織し、同時に最高国際裁判所をもうけ、国と国との紛争は、ここで裁判して、戦争をふせごうではないか――ととなえ出した。
 国際的連合組織の計画
 これを最初にして、国際的連合組織の計画がつぎつぎとなされるようになり、一七一三年――今から二百四十年ほど前、有名なサンピールの永遠平和草案ができ上がった。それが、カントの「永久平和論」の先駆をつとめたのである。カントの「永久平和論」の出版されたのは今を去る百五十四年(一七九四年)で、彼はすべての国家は今日のいわゆる民主主義の制度をもつようにすると共に、一方各国がたがいに協定を結んで、平和を保障するため、国際連盟を組織せよ、といいだしたのである。これが第一次世界大戦の後で、アメリカのウイルソンによってもちだされて、実際に国際連盟がうまれた。がしかし、せっかくのこの連盟も、独裁者たちに、ふみにじられ、第二次大戦後、改めて国際連合が組織された。
 国際連合憲章
 「われらの一生のうちに二度まで言語を絶するかなしみを人類に与えた戦争の惨害から将来の世代をすくわねばならぬ   」こういって、国際連合が正式にうまれたのは、一九四五年十月、第二次大戦が漸くおさまって半年とはたっていないころであった。
 国際連合は、戦争を防止し、国際紛争の平和的調整をおこない、国家間の協力によって経済的社会的その中のいろいろの戦争原因をとりのぞき社会の進歩をうながし、基本的な人権と人格の尊厳にふさわしいように、諸国民の生活を改善しようとするもので、国際憲章第一条にしめされた国際連合の目的は次のようなものである。
 一、A、平和の脅威を防止し、侵略その他平和破壊の行為を抑圧するために集団行動をとること、
    B、正義と国際法の原則にのっとり、国際紛争の平和調整を行って国際平和を維持すること。
 二、各国民の平等権および自決権の原則にもとづいて国家間の友交関係を促進すること。
 三、A,経済、社会、文化ないし人道に関する国際問題を解決すること。
    B,民族、性、言語、宗教の差別なく、あまねく人種ならびに基本的な自由に対する尊敬心を振作するために国際協力を図ること
 右の目的をたっするために、国連には一般総会、安全保障理事会、経済社会理事会、信託統治理事会国際司法裁判所、事務局の六つのおもな機関をもうけられてあるが、その中でも一番問題になるのは安全保障理事会である。
 問題の安全保障理事会
 国際連合は、さきに国際連盟が失敗しているので、その失敗にこりていろいろの点で改善されているのだが、その中一ばん改善されたのは、連盟規約には、経済上および社会的の戦争原因について、ほとんど考えられていなかったし、また侵略国にたいし行動をとる場合も、全加盟国の賛成を必要としたりして遺憾の点があったのでこれを改めた。
 けれども、ここに残念なのは、その国際平和維持のおもな責任を任された安全保障理事会の機能の不完全なことである。理事会は米英仏ソ中の五常任理事会と、任期二年の非常任理事国でくみたてられているが、常任理事国は、手続き問題以外の、政治上の重要問題についての決定に当たり、拒否権の行使がみとめられていて米ソの対立から、ソ連は事ごとにこれを濫用し、せっかくの国連も仏作ってたましいのはいらないうらみを感ぜしめるようになったのである。
 朝鮮事変に国連軍が出動したのも、実はソ連が、ほかの問題ですねて、理事会をボイコットして欠席していたため決定を見たので、ソ連が出席していたらもちろん拒否権をつかって朝鮮へ国連軍を出させなかったにちがいない。
 こういうように、国連は、前の連盟よりはだいぶ進歩しているとはいうもののまだ不十分といわねばならないのだ。ただ、こんどの朝鮮事変に、ソ連の欠席がさいわいして、国連軍を朝鮮に派遣し、侵略軍をおっぱらったので、国連は世界から見なおされた形である。たしかに、こんどの国連軍の出動は、侵略の阻止と、平和の維持に役だったといえる。しかし、朝鮮では機能を発揮することができたが、今後、世界各地で頻発するであろう侵略を、ことごとく阻止し、世界の平和を永久に確保できるかどうか。
 国際連合から世界国家へ
 わたしたちは、国際連合に心からの敬意は表するものだが、その組織の上で、ややもろいものを感ぜずにはいられないのである。つまり、国連は、国家の集団で、それぞれ主権をもっていて、その主権をおかされない範囲で協調していこうというのだから、米ソの対立、これにともなう民主主義国家と共産主義諸国家とのにらみあいが、だんだんと激化して行く今日、意見の一致を見ることがなかなかむつかしくなっていくのはあたりまえのことである。
 そこでアメリカなどでは、この国連を世界政府に組織替えしようという意見がでている(世界政府については後で詳しく説明する)
 しかし、国連と世界連邦とは、同じように、世界平和の実現を目的としてはいるが、その本質上、ちがいのあることをしらねばならない。国連は戦争防止のための国際機関だが、世界連邦は世界の政府である。前者は国家の集団だが、後者は全人類的組織である。そして前者の主権はそれぞれの国家の元首または国民にあるが、後者の主権は世界人民にある。こうした大きなちがいがあるのだから、たとえU・W・Fの決議が通過したとしても、国連というものはいちおう発展的解消して、各国家があらためて世界連邦政府樹立にむかって進むわけである。
 それはともかくとして、国際連盟が失敗し、また国際連合が現に十分の効果を発揮できないのは、つまるところ加盟国が、それぞれ無制限の主権をもっていて、他からいろいろいわれたがらないからである。そこでいっそのこと、各国が合意の上、主権の一部をさいて出しあわせ、共通のヨリ高い一つの主権を作り、人類全体を一つの世界国家に結合しよう――というのが、世界連邦の運動がおこった理由なのである。ドイツだ、フランスだといって、主権をもった国家として対立し、てんでの利益を主張しあうだけで、共通の一つの主権、一つの政府、一つの議会、一つの裁判所をもたないのでは、戦争の危険はいつまでたってもなくならない。だから一思いに、国家の上の国家、政府の上の政府、世界共通の一つの政府をたてて、戦争をなくしよう――というのである。みなさんは、どう思われるか。よく考えてみて下さい。