傾ける大地-9

   九

 その晩、英世は三上の本宅を訪れた。其処には黒衣会の面々が皆揃ってゐた。そして町民大会の打合せが進行してゐた。ザラ紙が買うて来られた。一晩のうちに何百枚かの町民大会の広告ビラが書きなぐられた。夜を徹してその広告ビラを電柱の上に貼り廻ることになった。英世も黒衣会の一団に加はって、真夜中に広告ビラを貼って廻った。高砂町民は翌る朝、此の迅速な手廻しを見て吃驚するであらうと心の中に思ひ乍ら――

 町民大会は翌晩、高砂の公会堂で関かれた。何がさて敏活な黒衣会の計画に、町会議員は全く不意打ちを食った体たらくで、其を防止する何等の方法も執ることは出来なかった。

 町では色々な噂が立った。 それが或は電話で、或は店先きにすわる買ひ手の口から、英世の父理一郎の耳に這入った。今夜は大喧嘩があるのだとか、町会議員の斎藤が姫路のゴロツキを雇ひに行ったとか、警察の手で解散になるとか、種々な憶測が行はれた。

 殊に英世に就いては、警察署長が演説しない方がよいと云ったとか、町役場の収入役が官吏服務規律に抵触して居ると云ったとか、まあ色々な噂が次から次に立った。風評が大きくなればなる程、その日の大会の盛況であることが推測せられた。

 実際小さい町内は鼎の沸く様な有様であった。殊に、土肥家では、番頭の島田が斎藤の内へ形勢を聞きに行くやら、姫路の賭博うちの親分山田寅吉に電話をかけて、邸を守備する為に、出来るだけ大勢の子分を送って呉れと電話で申込むやら、町民大会を怖れたことは非常なものであった。

 それと云ふのも、主催者が黒衣会であるだけに、土地の青年団全部が町民大会に参加するものと考へた警察署長は、用心のためにさうした手段をとることもよからうと忠告したからであった。

 それに就いて、番頭の島田が不思議に思ったのは、土肥家の令嬢と婚約のある杉本英世が、弁士の一人に加はって居ることであった。
 その日の昼過ぎ、姫路から数十名の土方風の男が一団となって、高砂町に乗り込んで来た。或る者は犬殺しの持ってゐる様な太い桜のステッキを突き、或者は日本刀を風呂敷で巻いて大事さうに背中に担ってゐた。兎に角手に何か刃物を持たないものは無かった。

 その光景を見た黒衣会の連中は非常に興奮した。この興奮を知った高砂警察署は、直ちに警察本部に電話をかけて、数百名の警官の応援を要求した。暮近くなる迄、或は明石から、或は姫路から、或は三木から、遠くは神戸から数百名の警官が各種の交通機関を利用して、高砂町に乗り込んで来た。
それは実に高砂町始ってからの大騒動となった。開会は六時だと云ふに、五時半頃にはもう会場はぎっしり満員の状態であった。公会堂に導く凡ての道路には、制服の巡査が両側に約二十名位宛配置されて、恰で戒厳令でも敷かれてゐる様な感じを与へた。

 それは、青田を埋められた農民組合の一隊が、青年団と一緒になって、土肥家を焼き打すると云ふ噂が立ったからであった。入場者は一人一人、入口で制服巡査に身体検査を受けた。それは、場内で喧嘩の勃発することを虞れたからであった。

 然し弁士と云っても、別に外から有力な人を引張って来ると云ふ訳でも無かった。警察に届け出た弁士は高砂農民組合の滝村俊作、町会の正義派川上市太郎、大友良知、三上実彦、それに黒衣会の榎本、青山、堤、倉地の四人、そして真打が杉本英世であった。

 聴衆の八部通りは一般の町民であった。そして他の一分が農民で、残りの一分が黒衣会の関係者であった。
 青物商の榎本が、相変らず黒の法被を着た儘司会者の席についた。聴衆は非常に緊張して居た。そして、何事か起るであらうと予期する様であった。
榎本が開会の辞を述べる為に立ち上るや否や、別席に隠れて居た警察署長が、制服姿いかめしく、三名の巡査を引き連れて臨時席に就いた。さうした光景には不馴れな榎本は金筋の入った署長の帽子とその肩章がいやに気になってならなかった。

 榎本は興奮してゐた。開会の辞は頗る要領の得ないものであった。自転車屋の青山秀太郎は、榎本の開会の辞が終るや否や、直ちに演壇に立ち上って、初から大声を張り上げて町会議員の罵倒を始めた。彼は日に焼けた如何にも勇悍に見えるその油ぎった顔を、稍々鼠色に使ひ古した西洋手拭で拭ひ乍ら、斎藤一派の町会に於ける横暴振りを罵倒した。

『――彼等は実に高砂一万五千の町民を食ひ物にする吸血虫である。彼等は多数をたのんで、正義を蹂躙し、風紀を紊(みだ)り、神聖なる大和民族を毒せんとする国家のパチルスである。今にして彼等を退治しなければ、我高砂町の運命は実に惨憺たるものがあるであらうと思ふ。彼等は金権と結托して、無謀なる代価を持って町に小学佼の敷地を買ひとらせ、耕作者の権利を蹂躙して、青田に土を盛り上げる様な封建時代にも見ることが出来ない暴虐無比なる行動をとって居る。彼等を今の内に懲膺(ちょうやう)しなければ高砂町に於ける無産階級は、全く彼等の為に食ひ荒されて仕舞ふであらうと私は思ふ』

 黒衣会の一隊はそれに向って拍手をした。然し演壇の右側の、柱の下に一団となって坐って居った、公民派の廻し者と見える数十人の一隊は沈黙して居なかった。

『若僧に何が解るかッ』
 と壮士風の男が先づ反対の音頭をとった。彼は三十四五の立派な体格をした眉の太い細目の男で、門歯四枚を凡て金で入れて居た。その一声に場内は非常に緊張して来た。聴衆は互に顔を見合はせて、

『彼は公民会が神戸から引張って来た壮士だぜ』、
『嫌なゴロツキが這入ってゐるぢゃないか』

 と云った様な囁きが、彼ちら此ちらに聞えた。青山は三上から聞いた町会内部の腐敗をすっかりぶちまいて聴衆に訴へた。遊廓設置の問題、競馬場の問題、海岸埋立地の問題等、凡て公民派が多数を侍んで今迄なし来った罪悪を一々指摘した。それに対して黒衣会の一派は皆拍手を送った。
殊に青山が若竹楼の問題を引さげて、公民会の罵倒を始めるや否や、黒衣会の連中は大いに野次を飛ばして弁士を応援した。然しどうしたことか、黒衣会の二三十人が力を入れてゐる割に、聴衆は冷っこくその演説を迎へた。中には、

『町長の廻し者ッ』

 と叫ぶ者もあった位で、必ずしも黒衣会の青年達が考へてゐる様に、一般の町民は考へてゐないと言ふことが善く解った。それで青山は、皺枯れて行く蛮声を振り上げて、高砂町に遊廓が出来るなら、別府の様に青年が堕落して仕舞って、町全体が破産状態になるであらうと叫んだけれども、拍手するのは唯黒衣会の一団だけであって、大衆は八九分通りまで無頓着の様な態度をとった。

 それどころではない。例の金歯の男が、
『遊廓は公衆便所だよ。町には無くてはならぬものぢや!』
 さう真面目くさって、野次った時に大衆はそれについてどッと笑った。その為に青山は拍手抜けがして、演説する勇気もなくなって仕舞った。その時に、広い公会堂の真中に坐って居た老人はつーと立ち上って、
『町の繁栄策はどうするんだ! 君等は攻撃ばかりするけれども繁栄策について、具体案があるか?』
と如何にも真面目くさって質問した。それに対して公民会の一団は拍手した。

 その光景を別室から覗いて居た英世は、町民の大多数は遊廓設置運動に賛成してゐることを悟った。詰り町民全体の良心が全く痺れ切って仕舞って、遊廓の制度等に対して、それが罪悪であるとも、何とも考へてゐないといふことを彼は発見したのであった。余りに冷っこい聴衆に、青山は声を枯らして演壇から降りて来た。その後に、滝村俊作が演壇に昇った。金歯の一隊は声を揃へて、

社会主義!』

 と野次った。その声に聴衆は竦(すく)み上って仕舞って、滝村が堂々と村の疲弊、農民の窮状を訴へだけれども拍手するものは一人もなかった。黒衣会の一隊までが拍手を控へて仕舞った。滝村が自分の田地に土を盛り上げられた話を始めると、さっきの老人が立ち上って、

『君等は我儘だよ、公共事業の為には、多少の犠牲を払はなければならんぢゃないか』
 さう云った時に、聴衆は却って、その老人の言葉に相呼応して拍手をした。之によって、杉本英世は、聴衆が全く公民会の政策に賛成してゐることを発見したのであった、それから先、滝村がいくら大声で説明しようとしても、聴衆は野次って聞かうとはしなかった。滝村は殆んど演壇の上で立ち往生した。

 形勢が悪いと見てとった三上実彦は、杉本英世を促して、是非此の次に演壇に立って呉れと要求した。演壇に立往生した滝村は、殆んど何も云へないで引込んで仕舞った。其処で、杉本英世はすぐ滝村のあとを承継いで演壇に立った。彼は最も落着いだ口調で、政治といふものゝ性質から説き始めた。それに就いて彼は斯う云った。

『政治は群衆の道徳であります。群衆の道徳が進歩しなければ、いくら法律が立派であっても、それを実行する能力はありません。そして今や世界の改造期に際して昔の権力政治の形は互助的社会組織に移りつゝあるのです。今迄は権力を握ってゐる者や金力を握ってゐる者が威張ったのであるけれども、此からは人格の力が一国の政治を支配しなければなりません』

 その言葉に対して聴衆は皆揃うて拍手をした。
『然るに我が郷土の高砂は今や恐るべき時機に際会して居ります。公民会派の方々が、町の繁栄策について御心配下ざるのは誠に有難いことであるけれども、その方法は実に、悲しむべき誤った方向を執って居るので、私は残念ながら、比の演壇から、町会議員及町民の方に向って、御注意を中上げなければならないのであります』

 彼の静かな、そして親切な言葉遣ひに、老人も金歯も黙って仕舞った。
『――遊廓の設置は、或は公衆便所として必要であるかも知れません。然し日本に於ける各地の情勢を見ますに、都市の繁栄策は、堅実なる実業を以てするのでなければ、発達するものではありません。カンフル注射は暫くの間は良く効きませうが、長くそれを続けることによって、却ってその人を殺すことになります。遊郭を建てたから、直ちに高砂町が大繁栄を来すといふのは間違ひで、その為に亡びた国も少くないのであります。昔から娼妓の事を傾城と申しますが、誠にその通りでありまして、その為に国が亡んだ実例も少くないのであります。私はそんな危険な方法をもって、此の美はしき高砂町の繁栄策とすることは絶対的に反対であります』

 聴衆はそれに向って拍手を送った。それに元気を得た英世は猶言葉を続けた。

『政治と云ふものは、人の命を尊重し、その人の産業を授げ、自由を尊ぶ様にしなければならないものであります。それであるから、貴賎貧富を問はず、凡そ人間である以上それがどんな無産階級の人であるにしても、その人の人格を尊重して行かなければなりません。然るに今日の政治に於ては今猶社会公共の名にかつて、貧しい人の権利を蹂躙することがたまたまあるのです。成程その目的は社会公共の為であるとは云へ、矢張り無産者も人間の一人でありますから、その人格を蹂躙して仕舞ふことは許されないのであります。例へば此の度の高砂高等小学校裏の田地埋立事件の如きは、その良き一例でありまして、成程その埋立てる目的は社会公共の為でありますから、非常に結構なことでありますが、教育は命があって始めて授け得らるゝものでありまして、人の生存の権利迄奪って仕舞って其処を運動場にすると云った様なことは、随分考へ様によっては、無茶苦茶なやり方であると考へざるを得ないのであります。西洋では義務教育を受ける子供達に食費の公給制度を敷いて居りますが、義務教育を授ける以上、食費を義務的に負担するのはあたり前であると考へてゐるからであります。之を押し広めて考へてみますと、高砂小学校裏の小作人諸君は青田を埋め立てられた後と云ふものは、全くその日の生活にも窮して居られるのであります。従って、いくら立派な義務教育の制度がしかれてあっても、自分の子供を学校に送ることは勿論のこと、その子供等に飯を食はすお金さへ奪ひ去られて仕舞ったのであります。考へ様によるならば、社会公益の名にかくれて、高砂町は、気の毒な小作人諸君からその生存の権利まで奪って仕舞ったと云へるのであります』

 その時に金歯は、
『そんな無茶を云ふな!』
 と野次った。それに対して、聴衆はドッと笑った。然し、杉本は決して臆することはなかった。

『私が政治は道徳であると申しますのは全く比の点でありまして、唯、一部の人達の利益になるからと云って町の弱い人達から、少ししか持って居ない富や財産を奪ひ去って仕舞ふなら、それは真の道徳とは云へません。弱い者が更に自分より弱いものに片、肌ぬいで、尽して行くと云ふのでなければ真に理想の国は出来るものではありません。若しも唯金持だけの御機嫌をとって居って、町の貧民階級に対しては何等方法を講じないとすれば、高砂町学校埋立地のことなどは当然町に於いて賠償金を出すなり、他に適当な職業を与へて、小作人諸君の生活にさゝはりが来ない様にしなければならない筈であります。私は之から政治が益々民業と密接な関係が出来ると思ひますから、一層人格的基調を明らかにして、金儲け主義一遍の功利的政治をとらない様に注意しなければならぬと思ひます。私は公民会の誰、彼が悪いとは云ひません。皆が注意しなければ、皆が此の弊害に陥ります、金持だけに威張らすのは間違ってゐるのでありまして、どんな小商売、どんな労働者でも、皆日その日その日の生活を楽しみ得る様にしなければ真に良き政治が行はれてゐる国とは云へないのであります。かう云った意味に於いて私は公民会の方々が高砂町の為になるだらうと思って決議されたのでありませうが、臨時町会まで聞いて多数決を以って通過せられた遊廓設置案、競馬場新設案に対しては遺憾ながら、絶対に反対を唱へなければならないと思ふので£ります』

 英世がさう云って演説を結んだ時には、凡ての者は皆打揃って拍手をした。その次に三上が立ち上って演説したが、三上は杉本以上に辛辣な口調を以て、町会の内幕を全部さらけ出して、町民に訴へたが、それが非常な効果を収めた。彼は云った。

『成程、高砂町繁栄策はよい。然しそれは、高砂町に於ける一部の金権階級の繁栄策で、決して高砂町民全部の繁栄策ではないのである。例へば遊廓を設置したり、競馬場を新設して利益を得るのは公民会一派の少数の連中であって、決して高砂町全体の人々が利益を得る訳ではない。公民会一派の人々は袖を連ねて、加納町長を排斥してゐるが、それは加納町長が居れば彼等一派が私欲を貪ることが出来ないからであって、加納氏を排斥して彼等が自由に出来る木偶(でく)を後に据ゑんとする魂胆にしか過ぎないのである!』

 金歯は、
『何をぬかしてるんだい!』
 と野次る。黒衣会はそれに反対して、
『黙れ! 馬鹿!』
 と野次り返す。聴衆はそれに対して比較的冷静な態度をとった。

 三上実彦は猶言葉を続けた。
『恐らくは、今後高砂町は益々多忙になるであらうと思ふ。即ち水道工事の問題、区画改正の問題、瓦斯会社の設置問題、電気鉄道敷設問題、築港問題等頗る色々な事件が起って来ると思ふが、今の様な公民会の態度では町民は唯増税に苦しむだけであって、その利益の大部分は小数の資本家に嘗め倒されて仕舞ふのであると云ふことを私は虞れるものである』

 遠くから、
『三上シッカリ頼むぞ!』
『髯! シッカリやれよ!』

 と野次るものがある。此の野次の声をきいて三上は安心した。始めの程は、公民派の連中がどんなにあばれるかと思って居た演説会も杉本の条理をつくした演説によってスッカリ小数派の意見が通り、聴衆の大多数は全く反公民会の態度を示すに至った。此時と思ったものだから、三上は颯(さっ)と演説を打ち切って、青山に合図をして他の弁士をさしひかへ町民大会を聞く準備をさせた。青山は榎本に代って司会者となり、聴衆に向って叫んだ。
『只今より高砂町民大会を開きます。座長として三上実彦氏を推薦したいと思ひますが満堂の諸君は異議ありませんか』

 聴衆の中から『異議なし、異議なし』と二三人の者が叫んだ。之は黒衣会の仲間で打ち合せして居た通りの筋書きを運んだのである。黒の絽の羽織を着た頬髯の多い三上実彦は如何にも落ち付いた調子で演壇に歩を運んだ。三上実彦は言葉を改めて聴衆に宣言した。

『只今宣言書及び決議案を読んで貰ひます』
 さうすると賢こさうな顔をした倉地一三君が演壇に顕れた。そして透き通る様な美しい声で宣言書を読み始めた。

  宣言書

 政治は民衆の道徳そのものであらねばならぬ。然るに今や我が高砂町に於ては新に遊郭を設置し、競馬場を新設せんとする議案が町会を通過した。之高砂町民のあづかり知らざる処であって、彼等公民派はその多数を恃み、濫りに町政を攪乱し、道義を廃頽せしめ、光栄ある高砂町の歴史に汚点を残さんとしてゐる。之実に高砂町民として黙視する能はざる事であって吾々は茲に決然立って、高砂町会の反省を促し、飽迄正義人道の為に戦ふべきことを茲に宣言す。
      八月五日         高砂町町民大会

      決 議
 一、吾々は飽迄遊廓の設置に反対す。
 一、吾々は競馬場の新設に反対す。
 一、吾々は飽迄町会に於げる少数派の権利と町民としての無産階級の権利を擁護せんことを期す。

 倉地がそれを読み終った時に、会衆は誰一人反対する者なく、皆拍手した。三上は演壇に立ち上って、荘重な口調で折り返し尋ねた。
『皆さん異議ありませんね』
 すると例の金歯が笑ひ乍ら、大声で、
『異議ある、異議ある。俺は遊廓の設置に賛或だ』
 と一人叫んだ。
『黙れ! 引きずり出せ、引きずり出せ』

 さう叫ぶものがあった。会場は総立ちとなった。制服巡査二三名が金歯の処まで、近よって彼を場外に連れ出した。聴衆はまた静まった。そこで三上は再び会衆にはかった。

『比の決議案を徹底せしめる為に如何いふ手段をとればいゝでせうか、それを満場の諸君にお諮りします』

『町会を解散させろ』
と大向ふから叫ぶものがある。
『町会につきつけろ!』
『不良老年を擲って仕舞へ!』

 それぞれ口汚く会衆の中から叫ぶものがあった。暫くして叉黒衣会の一団から提案があった。
『議長、それを委員付託にすればいゝと思ひます。そしてその委員は座長が指名して下さればいゝと思ひます』

 そこで三上は、
『皆さん、只今の提案に異議ありませんか?』
 と尋ねる。聴衆ば黙ってゐる。三上は、
『では異議ないものと認めます』
 と駄目を押す。其処で三上は聴衆に向って委員の氏名を発表した。

『決議案実行委員として本大会の発起人である杉本英世君、青山秀太郎君、堤幸蔵君、倉地一三君及び三上実彦君右五名を選定いたします』

 それで大会は済んだが聴衆は仲々去らうとしなかった。それは之から斎藤の家と、土肥の家を襲撃するのだといふ風評が誰云ふとなく立ったからであった。三分五分聴衆は身動きもしないで、立った儘大きな塊になって物凄い空気を造った。それと感付いた巡査の一隊は靴ばきの儘、公会堂の畳の上に飛び上って来て八百名近く居た会衆を遮二無二解散せしめた。

 外は美しい星月夜で銀河が北から南に幅広く流れて居る光景が、手にとる様に見えた。三上が杉本英世と連れ立って公会堂を出た時に、会衆は殆んど黒衣会の者を除いた外は全部姿を見せなかった。然しどうして紛れ込んで居たか俊子と愛子の二人は、公会堂の庭の杉の木の蔭に隠れて聞いてゐたと云って、未だ帰らずに英世の出て来るのを待って居った。