傾ける大地-20

   二十

 加納町長が辞職の声明をしたのは、志田義売が水道敷設権の許可が下りたと云ふ報告をもたらして帰って来た前日のことであった。斎藤新吉は如何にも嬉しさうに、さうして亦加納町長に対する当付けから、志田から来た電報を持って、町役場に行ってそれを見せた。

 それで加納町長はいつも懐にして持ってゐた町会議長宛の辞職願を内懐から取出して、すぐそれを斎藤に手渡した。斎藤は鬼の首でも摑んだかの如く、無言のまゝそれを受取って、伊藤唯三郎の処へ飛んで行った。そして四方に電話を掛けて、公民会一派の連中を伊藤の家に呼寄せた。そして助役の田島益吉を臨時に町長代理の役を務めさすことに下相談を決めた。

『これで占めたものだ、田島が町長代理をしてゐる間に、どんどん仕事を運ぶに限るよ』

 さう斎藤は皆の者に云った。然しその中で一人桜内正彦はむっつりして一々斎藤新吉の言葉には賛成しなかった。

優先株はどうなるんだい? 君の様に一から十迄、土肥謙次郎を押立てゝ、土肥家に儲けさせてやるのもいゝけれども、その為に働いた吾々も少しは甘い汁を吸はせて呉れぬと働けないぢゃないか』

 桜内は露骨にさう云った。滝村喜一も桜内に賛成した。

『播磨水道株式会社の資本金が幾らになるか知らないけれども、五十円株として少くも二百株位は、成功謝金として吾々に分配して呉れないと全く働く効がないなア』

 桜内は尚も切込んで斎藤に云うた。それと呼応して、滝村は四角い顔を斎藤に向けて訊質した。
『志田さんが来るのは何の為だね』
『それは神奈川県の補欠選挙に、志田さんの友人で憲友会の幹事長をしてゐる、筒井順作が立候補するので、その選挙費を調達に帰って来るのだよ、まあ水道会社の優先株はその方に廻してやらなくちゃならんだらうね』

 さう斎藤は答へた。すると桜内は尖った下顎を撫で廻し乍ら、
『さうすると水道会社の許可書が約一万円と云ふことになるかね、安くないね』
 狡猾な斎藤はそれに対して何も答へなかった。
『まあ驕るからさう僕だけを責めるなよ』

 その晩、斎藤は桜内と滝村を伴れて、舞子の万亀に遊びに行った。そして神戸の「中検」の流行妓を三人注文した。