傾ける大地−31

   三十一

 杉本英世が有罪に決定したのを新聞で見て喜んだのは、高島頼之であった。杉本が資格を失へば、次点の高島が県会議員になれると思ったのが、その理由であった。高島は、県会議員選挙に落選して後は、大いに悄気(しょげ)て、毎日のやうに斎藤の家へ窺ひを立てに行った。それは、高島が落選した後、斎藤一派の間では、高島を無視せんとする傾向が高まりつゝあったからである。

 落選後高島の藻掻いた有様は、見る目も可哀相なほどであった。彼は、斎藤一派が請合ってゐる私設水道工事の許可を県庁へ取りに行ったり、高砂港拡張問題に就いて知事官邸を訪問したり、既に着手せられた、加古川高砂問の電車軌道に沿うて、幅十二メートルの道路を平行して作ることに就いて、県の土木課と交渉したり、それはそれは実に忙しく、県庁と町役場の間を往復した。

 斎藤一派は、高島をまるで小使のやうに考へ、県庁と交渉すべき問題は、一々高島を私邸に呼びつけて命令した。

 二月一日に、高砂水道会社の市街地に於ける工事が始められた。見る見る中に、本町筋の美しい街路は、掘り起された土砂で一杯になり、両側に竝んだ店舗は、殆ど休業の状態になってしまった。町内のあちらこららに不平の声が起った。殊に初めから私設の水道工事に賛成してゐなかった黒衣会の連中を初め、青年団及び在郷軍人団は、再び町民大会を催して、私設水道工事反対の大演説会を開くと云ひ出した。

 その相談を杉本英世の処へ持って来たのは、倉地一三であった。然し、憲友会が政治をとってゐる間、迚も勝ち目のないことを知ってゐる杉本は、その大会に就いて『ウム』と云はなかった。それから間も無く、本町筋の衛生組合が中心になって、町役場に抗議書が出た。抗議書を持って行ったのは、写真屋の堤幸蔵外三人のものであった。その抗議書には、『若しも今のやうな形で水道工事を進められるなら、吾々は税金を納めない』と書いてあった。

 それを見た高島頼之は、吃驚して斎藤の処に飛んで行った。その抗議書を見た斎藤は、鼻の先で嗤った。

『放っとけばいゝんだよ。また例の杉本が裏に廻ってしてゐる仕事だから。彼奴が第一審で有罪になったしっぺい返しに町内を騒がしてゐるんだよ。税金を滞納すれば、執達吏をやってびしびし取立てたらいゝぢゃないか。そんな事で負けて居れば事業なんか出来るものぢゃないよ』
さう云はれた高島は、すごすごとまた町役場に引帰した。
然し、水道工事が始まってから、高砂の憲友会の内部に於ても、斎藤に対する怨慌の声をあげる人間が出て来た。それは、水道株式会社の株だけは持たされ乍ら、取締役にしてくれなかったといふ不服を持つ、時計屋の桜内正彦がその発頭人であった。

 彼は、自分の店の前が掘り起されたまゝ、十日以上もその儘になってゐるのを見て、癪に触って耐らず、これも憲友派の中に於げる不平党である家具屋の滝村喜一を訪問して、斎藤に反旗を翻すことを謀った。滝村は滝村で、次郎助町に遊廓を設置するに当って、独り斎藤だけが私腹を肥して、他の者を少しも顧みなかった事を不平に思ってゐたので、すぐ桜内に賛成した。

 実際遊廓の内部で、斎藤の評判は頗る悪かった。次郎助町が、遊廓に指定されるや否や、斎藤は、すぐ家賃を二倍倍上げし、その他に権利金と称して、今まで一文も要らなかった家賃二三十円の借家に対して、千円から千五百円を要求した。

 その他斎藤は、町内の凡ゆる事に干渉して、少しでも金儲けのあるやうな仕事に対しては、一々一頭を刎ねる(は)る事に苦心した。それを不愉快に思ってゐた土木の親分の山田政吉は、直接遊郭側を代表して、斎藤に忠告した事もあった。斎藤はそれに対して、水道工事の土木事業一切を、山田にやることを約して彼の口を塞がせた。

 山田は、大きな工事を引受けたものゝ、その日その日に支払ふ賃銀の金にすら困ってゐた。一日に何百人か入れて、工事を手早くやってしまへば、さう長く街路を掘り起した儘捨て置かなくても善いのだが、平素から信用の無い彼には、大きな金融をしてくれる者もなく、毎日やっと二三十人の朝鮮人を人夫に使うて、そろそろ仕事をやらせた。それで、高砂町の銀座通りとも云ふべき本町筋は、全く交通遮断の状態になってしまった。

 滝村は、反公民派の領袖三上実彦まで訪問した。そして、三月から愈々税金不納同盟が各町内で結成されることになった。一方斎藤は、財界不況の為に借金して建てゝゐた若竹楼を神戸の高利貸から差押へられ、妾の里見市子も神戸に引上げてしまった。

 そんな事で、姫路の新聞には酷く悪口を書かれ、気を腐らせてゐた。殊に呑み功の細見徹に少し機密費を廻すことを怠った為に、細見は毎日、斎藤の醜行を町の小さい新聞に書き立てた。それは勿論、滝村に金を貰って書いてゐるのではあったが。

 その内幕話を桜内が、すっかり三上実彦に告げたので、三上はまたそれを杉本英世に報告し、英世はそれを聞いて、高砂の町そのものを呪ひたくなった。