無 言 賦 国際平和協会機関誌「世界国家」(一九四八年六月号)

 無事なる時、無難なる時、多難を知り、多事を予則し、
 悠々天と共に黙し、梢の如く、天に向つて呼吸することも神韻の福音である。
 天は語らずしてよく語り、大地は黙々として行動する。
 母胎に成長する胎児は成長することを知りて語ることを知らず、
 ピラトの前のキリストは黙々として十字架に進む。
 星は語らず、花は歌わず、
 だが、光と色は声以上の声を持ち、歌以上の歌となる。
 語らず、いわず、その響は天地に普ねし、
 手を縛られ、足をくゝられた雪舟は、手拭の口轡をはめられ、叫ぶことも出来ず、
 涙もて鼠をかき、その鼠はその縛られた荒繩を噛み切ったという。
 無言の神韻は太陽の軌道と共に永遠である。
 葬らるゝことを人に委し、自らを葬ることを楽めば、尤も莞爾としてその両腕を開く。
 歴史もかゝず、日記もつけず、
 無限より無限に流れゆく絶対帰依の生活に、天地悠久の関門は開かる。(一九四八年六月号)

 無 執 着

 燦として太陽はその光芒を地上に投げつける。
 私はその光芒に乗って地上と縁を切る。
 私は悪いことをした覚えはないが、
 キリストに就くがゆえに世に、うとんぜられ馬鹿者扱いにされる。
 しかし、名誉にも、地位にも、富にも、無執着でいられる私は、
 漂々として書物の頁と頁の間に隠れる。
 私は隠れ笠と、隠れ箕を持っている。
 霊魂の内枠は私に隠れ笠を提供してくれ、祈禱の凝念は私に隠れ箕を借してくれる。
 漂々乎として、私は千年の歴史の潮流にたゞよい、悠々として、億年の地殼に穴を穿つ。
 私に執着はない。
 万金の財も。千古に輝く栄誉も、私にとっては鉄鎖に等しい。
 私は、たゞ全能者に魅入られて、宇宙逍遥の旅に生きているのだ。
 停止して、千里を走り、しゃがんで、万里を行く。
 人にそむかれても、太陽は、私に笑顔を惜しまず、
 森の梢の若葉は、私に更生を囁く。
 溝側のみみづも、私をさし招き、竈の上の小描も私に自適世界の幸福を物語る。
 鳴かず、飛ばず、枯薄の下にうづくまるうづらのように、大きな声を出さないが、
 枯草の下にも、自ら開けた道がある。
 秋の露は日輪を孕んで、七色の光を反射し、
 冬の日には白雪のかがやきに、浄化の歓喜を楽しむ。
 無執着、無凝結、淡々として流れ、躬如として留る。
 飛ぶ日を忘れたのではない、巣ごもりする日の貴さを学んでいるのである。
 漂々乎として風は胸空に満ち、悠々として人の子は、雲烟の世界に呼吸する。
 彼、溜息を吐き出せば、松の木はその枝を震わせ、彼欠呻すれば、道の水溜りが慰めてくれる。
 無念の世界は、無精の世界に通し、無機物の世界は、無執着の客を優待してくれる。
 漂々乎として、隠れ笠と、隠れ箕に、身を包んで隠者は、もぐらの如く、
 真理の間道を伝って、宇宙の裏側を見て廻る。
 そこにも大能者は、離宮を持っていられる。  (一九四八年六月号)