戦争は回避できる 国際平和協会機関誌「世界国家」(一九四九年一月号)
日本無戦時代の回顧
戦国時代、日本においても、どこかで毎目戦争をしていた。それが織田、豊臣を経て、徳川時代になると二百五十年間、一度も大きな戦争をしないですませることができた。もちろん、その時代にも、二百六十一の大名がいて、武装解除をしていたわけではなかった。それが、明治時代になって、人民の凡てが武装解除を申合せ、仇討ちをしないことにした。そして武器を持つものは、警官と兵隊に限られた。
その徳川時代や、明治時代の経験は、世界平和についてもいえる。みんながその気になれば、冷い戦争や、熱い戦争をしなくてもすむ筈である。ではその方法はどうすれば善いか?
元来戦争は道義の頽廃から起るものであるが、それに各種の原因が伴う。たとえば。権力慾、支配慾等の政治的原因、食糧不足、資材難、人口過剰等から来る経済的原因、人種偏見、階級差別等から来る社会的原因、宗教闘争、イデオロギー戦争からくる思想的原因が戦争を起す最大理由となっている。
蟻の世界の文化の進展
しかし、よく考えて見ると、これ等は全く無智から来るのであって、人類がもう少し賢くなれば、個人や、一階級が権力慾や、支配慾をほしいままにしても、決して幸福な社会が生れやしないことを発見するであろう。
蟻の世界などでも。武力の強いものが優勝劣敗の原理を示すのではなく、むしろ、社会組織を上手にしているものの方が遥に優等であることを示している。ハスキンス博士の研究によると、米大陸などでもポネリン蟻の如き武装蟻は最初は強かったが、フォイドル蟻という組織力を持つ蟻に敗北し、そのフォイドル蟻の女王はたゞ一匹であるために、女王数匹持っている弱いイリドミリメリス蟻という武装も、力もない! しかし、社会的結合力を持っているものに、完全におき換えられたということである (「科学の宝庫」ジャプレー博士編集四一五頁参照)
これを見てもわかるが、「武装」することが、決して、文化文明の発展に貢献するのではない。これに反して、「武装」に入れる力を、科学的、道徳的、社会的発明に注ぎ込み、戦争に敗けて、人口を失っても、すぐ、その人口を取り返し、科学的に、道徳的に、また社会組織においてすぐれ、武力に強い民族、或は国家以上に、創造力及び、再創造力において勝って居れば、戦争ほど馬鹿らしいものはなくなる。支那という国はいつでも、征服者を吸収する傾向を持っている。「秦」や「元」が来ても、また「清」が来ても、いつも、漢民族は之を吸収してしまった。つまり、大民族、大人口というものは、平和的出産率が高いために、少しくらいの武力では、どうにもならないものであることがこれでよくわかる。
文化の不滅性
「文化」というものは、永久性を持っている。それでギリシヤを亡ぼしたロマが、その文化様式を、全部ギリシヤから拝借しなければならなかった。またロマを亡ぼしたゴスや、ゴールの王様も、権力で征服はしたものの、結局、文化はロマの様式を模倣せざるを得なかった。学問の領域においても、宗教の領域においても、芸術の領域においても、これは全く事実である。いくら、権力が強いからといっても、また経済的に豊かであるからといって、決して、権力者が金や、金力で、学問を買い取ることはできない。古代において地中海の航海権を握っていた猫の額ほどもないフヰニキヤ人は、エヂプトの富は持っていなかったが、天文学と、アルハベット文字を持っていたために、科学的には一歩エジプトより前進していた。ロマはギリシヤより金持ではあったが、幾何学も、三角術も、天文学も、ロマ人はみなギリシヤ人から教えて貰った。
だから、「文化」を持つ国は亡び得ない要素を持っている。
社会科学界の発明
科学に限らず、道徳性についても、社会性についても同じことがいえる。「互助組合」の組織も一種の社会的発明に属する。一八四四年、英国ロッチデルの「消費組合」の如きは、完全な一種の発明である。これによれば「利益払戻」「持分制限」「人格経済」の三要素を持って、物質所有者に、絶対権を与えないで、資本主義を無用の長物と化することが出来、暴力革命によらず、階級戦争に頼らずとも、意識的開発だけで完全なる社会平和をもたらし得ることがわかった。
それで、一九四五年四月十二日からサンフランシスコで開かれた、国際連合は、国際協同組合同盟の常任幹事を国際連合の常任委員に任命している。これは将来、国際間に平和を樹立しようと思えば、資本主義的搾取即ち帝国主義戦争をなくさなければならない。それには。万国的に協同組合精神が盛んになり、「一人が万人のために、また万人が一人のために」という奉仕的互助意識の上に立脚した協同組合を持つ外に、世界平和は来ないことを発見したためである。
もし、唯物主義のいうが如く、たゞ暴力革命のみによって、世界か進化し得るとするなら、世界は革命戦争を重ねる度毎に進化して居た筈である。革命戦争の最も多い国は南米諸国であるが、彼地ほど文化の遅れている地方は欧米にはない。戦争は生産を阻み、文化を阻止し、道義を頽廃せしめる。戦争は発明の敵である。それは破壊こそすれ、創造はしない。もし、暴力革命を国際間に繰りひろげるならば、原子力による世界人類の破壊は目前に迫っている。
これを救う道はたゞ一つ! それは協同互助の社会組織の発明のみである。そして、その模型は国際協同組合同盟に発見できる。
万国郵便同盟、ロイド海上保険同盟などは形こそ異るが、全く世界の人々が互助友愛の精神から出発した人道的な計劃であり、且つ成功したものの例である。万国郵便制度が成功し、ロイド海上保険同盟が成功し得るからには、全人類が、戦争を廃止して、人類の共存共栄を計り、戦争に消費する勢力を発明と発見に使用すれば、血なま臭い武力闘争に力を入れる必要はなくなると思う。
世界連邦政府出発の必要
世界連邦政府の組織はその目的に添うた究極の目標である。その本質は経済的に互助友愛を基調とする協同組合組織を政治的に拡張しただけのことである。それは武力を根本とする今日の国家主権の一部を削って、人類連帯意識を根底とする互助組織を世界に押し弘めんとするものである。家庭、種族、民族間に、戦争が忌避される今日、思想の相違や主義主張の差の故をもって、戦争することは馬鹿気たことである。協同組合が、資本主義的搾取から人類社会を解放し得るとすれば、「世界連邦政府」の社会意識的発見も戦争を無用にする新しき発明であるといわねばならぬ。 (一九四九年一月号)